OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

園養山古墳群B支群(後半)

園養山おんようざん古墳群は、滋賀県湖南市三雲にある滋賀県下でも有数の古墳群。現在190基確認されている。

B支群は、A支群の南側で、中腹からJR草津線側の麓まで、東西350m程の範囲に密集し、60~133号墳

石室は、渡来系の持ち送りの急な穹窿きゅうりゅう式のもの(畿内型B類)と、(この地域では6世紀後葉以降造営された)持ち送りが緩く平天井のもの(畿内型A類)が混在する。

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B支群後半 100~133号墳

2024年2月18日(日)、3月11日(月)訪問。

*山中の古墳散策は、草深く、蚊の多い時期は厳禁。軍手・コンパス・懐中電灯等必携です。

(上が北)

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

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分布図等詳細については、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。

全て円墳で、墳丘規模の「径○m」は長軸方向の長さ、羨道は残存部分の値、玄室等の高さは土砂堆積床面からの高さです。なお、同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。

*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。

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*『調査報告書』では小グループ分けはされていませんが、便宜上近接する2~数基ずつの小グループに分けて、号数順に掲載します(小支群分けは筆者の独断です)

実際に散策した順番は、号数順ではなく、目印の明確な所を起点として、連続して巡れるルート(巻末に記載)を辿っています

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B-4支群

西から東に100~109号墳。102号墳以降は酒人さこうど林道と渓流の間、崖の様な斜面に連続する。

 

100号墳 支群の最西端、二股に分かれた林道の中洲のような尾根に101号墳と並ぶ。径8mで墳丘は良好。墳頂付近に開口部がある。

墳頂西望                      北望見上げ

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

開口部北望

『調査報告書』ではーーー羨道長2.3m幅0.95m(9.5とあるが誤植だろう)、当古墳群では珍しい両袖式の玄室長2.7m・幅1.75m。平天井で石材はかなり大きいーーーとある。

*写真の日付表示が「2025.03.11」となっていますが誤設定、「2024.03.11」正当です。

 

101号墳 径10m、墳丘封土の流失が顕著。石材散在。

墳丘北東すぐの木に、注連しめ縄が張ってある(割とまだ新しい)。

西望               北東望

 

102号墳 林道分岐の東横(林道の南側)。径8.5m、墳丘封土の流失が顕著。浅い溝状の石室跡に側壁石材の一部が残る。 

西望                        南望(向こう側が渓流崖)

 

103号墳 径12.8m、墳丘封土の流失が顕著。天井石が滅失し、土砂が流入するが南向きの石室側壁の一部が遺存。羨道長0.9m・幅1.05m、右片袖式の玄室長2.9m・幅1.5m。

東望                        西望

 

104号墳 径6.7m、墳丘封土の流失が顕著。南東向きの石室は天井石が滅失し、土砂が流入、玄室長3.1m・幅1.52m。

墳頂西望                       西望俯瞰

(奥から見て)右側壁と奥壁接合部   奥壁               左側壁と奥壁の接合部

 

105号墳 径10.5m、墳丘封土の流失が顕著。天井部に隙間があり内部が覗ける。

林道から南望                    墳頂東望=墳頂の隙間 

隙間俯瞰

『調査報告書』ではーーー内部は完存しており、羨道長0.9m・幅0.76m、南向き玄室長2.55m・幅1.45mーーーとある。南側斜面にも開口部があるが内部は埋没している。

渓流対岸から北望(黄〇が開口部)

 

106号墳 径9.8m、墳丘封土の流失が顕著。墳頂付近南面に石材が露出。

林道から南望                    渓流対岸から北望

 

107号墳 径10m、北側は林道で削られている。墳頂が陥没。

林道から南望                    渓流対岸から北望

後で写真を見ると墳頂辺りに開口部?らしき穴が見える。林道側から108号墳との間を行けば確認できたかも?

 

108号墳 径10m、北側は林道で削られている。墳頂付近南面に石材が露出。

林道から南望                    墳頂東望

墳頂下の北面に、大きめの石材が見える。

渓流対岸から北望                  石材望遠

 

109号墳 林道から南に渡るコンクリート橋の西脇。径10m

林道から南望                    墳頂南側に孔                 

南側の孔             墳頂東望(右側=北側赤〇に開口部)  渓流対岸から北望  

北望

 

B-5支群 

林道から西側の緩斜面に密集する110~133号墳

 

110号墳 径10m、墳丘良好。露出天井部に隙間。玄室は完存してそう。

北西望見上げ                    墳頂から東望見下ろし(黄〇が踏切)

墳頂北望                      石材隙間

 

111・112号墳 『調査報告書』には、いずれもーー径5.5m、墳丘の流失が顕著。石材散在ーーとしかない。北側に浅い谷があり、林道に近く、位置的にはこの辺なのだが?

西望                        北西望

 

113号墳 径14m、天井石が一部露出。

北西望見上げ(黄〇は石材)              南東望見下ろし(黄〇が114号墳)

 

114号墳 径14.2m、南側が林道で削られている。

林道から北西望(右下の石室は118号墳)         118号墳頂辺りから西北西望

墳頂北西望                     西望

『調査報告書』ではーーー天井石が抜き取られ内部に土砂が堆積。奥壁と側壁の一部が確認できるーーとあるが・・?埋まっている。

 

115号墳 径11.5m。僅かな高まりがある程度。

『調査報告書』ではーーー丘陵緩斜面にあり石材等確認できないーーとある。113・114・116号墳との位置関係ではこの辺り。

北望                        北西望

 

116号墳 径13.5m、91号墳の東下。

北西望                       墳頂東望

 

117号墳 径11.5m。116号墳と墳裾を接するらしいが、墳丘そのものがハッキリしない。『調査報告書』ではーーー天井石が抜き取られ墳丘中央部が陥没するーーとある。

南望               墳頂南西望             陥没跡

 

118号墳 林道から南に渡るコンクリート橋の手前。林道に面して開口するので、B支群では一番分かり易い。径5.2m。羨道は林道で削られているが幅0.88m、右片袖式で穹窿式の玄室は完存し、長2.42m・幅1.5m・高1.95m。袖部は3段積み。

西望(左赤〇がコンクリート橋)

北望

                     右下隅のは石材でなく放置された発泡スチロール

 

119号墳 118号墳石室の北東斜め上。径10.5m、墳丘の流失が顕著。南向きの玄室奥壁と側壁一部残存、幅1.6m・高1.4m。

 

120号墳 径17m、B-5支群では最大級の大きさ。墳頂は削られているが、良好な墳丘。石材散在。北~東裾に幅2.5m・深さ0.8mの周濠跡。

南西望                       東望

 

121号墳 径11.8m、墳丘良好、墳頂僅かに陥没。

南西望                       東望

 

122号墳 127号墳の北西。径6.8m。ほぼ扁平。

西望                        北望

*122号墳の東側が深く陥没。ここ2~3日雨が降っていないのに、小さな池の様に水が溜まっていた。

 

123号墳 径9.5m、墳丘の流失で平坦。よく分からない・・・。

122号墳から北望                  南西望

 

124号墳 径8m、墳丘の流失で平坦。123号と墳裾が接する。

 

125号墳 径13m、北西裾に周濠跡、墳頂陥没部分に南東向きの石室露出。玄室長3m・幅1.75m・高1.5m。

南望                        墳頂南東望

奥壁側北西望                    側壁と奥壁接合部俯瞰

 

126号墳 径14m、西裾に浅い周濠跡。天井部分の滅失した、南向きの玄室が遺存、長3.45m・幅1.7m・高1.4m。

南望(羨道方面)                   北望(奥壁方面)

(奥壁から見て)右側壁奥壁側             右側壁羨道側

右側壁と奥壁接合部

 

127号墳 林道沿いで、径14m、南側が林道で削られ、削平面に石材遺存。

『調査報告書』ではーーー石室・石材は確認できないーーとあるが、経年で土砂が流されたのだろう。

 

128号墳 径12.8m。『調査報告書』にはーーー天井石が抜き取られ内部に土砂が堆積ーーーとあるが、墳頂が若干陥没する程度。

北西望見上げ                    墳頂北西望


129号墳 径12m、墳丘良好、墳頂に南向きの玄室長3.1m幅1.7m程の石室下部が遺存。

*『調査報告書』では石室実測値は128号墳の欄に記載されているが誤植だろう。

南東望                       北望

(奥壁から見て)右側壁南側              右側壁北側

右側壁と奥壁の接合部                奥壁

 

130号墳 径8.8m石室跡のみ。129号墳と墳裾が接する。

林道から西望見上げ        南東望              墳頂西望   

 

131号墳 林道のカーブ角。径10m、林道で墳丘東側削平。削平面に石材。

 

132号墳 林道カーブの北手前。径13.2m、林道で東側削平され、削平面に右側壁と奥壁の一部遺存。羨道長2.1m、玄室長2.8m・現高1.2m。

 

133号墳 径10.2m、林道で東側削平、側壁の一部遺存。

 

================B支群の探索経路===============

*あくまで私の辿った経路で、色んな経路が考えられます。

1日目 B-1→B-2→B-3支群(81~94号墳)(下図緑矢印)
2日目 B-3(95~99号墳)→B-5→B-4支群(下図青系矢印)

*「調査報告書-」P158-図44を編集・加工

 

1日目 12時~16時(上図緑矢印)
A-13支群の最低所58号墳から浅い谷を南進し74号墳へ(75号墳は2日目)。そして73号墳(墳頂に石室痕跡あり)から連続するB-1支群を、最高所の60号墳まで登る。(厳密には、61号墳はB-1支群の尾根筋から少し南にズレ、60号墳はより高所の別の尾根にある。) 61号墳に戻りB-2支群の76号墳(真北に61号墳開口部が見える)に移る。分かりにくいB-2支群を経由して林道を東に下って行く(77~80号墳は少し分かりにくい)。二股に分かれる林道沿いの82号墳(分かりにくい)→81号墳(石室奥壁が露出)からB-3支群の尾根筋を83~91号墳まで下る。92・93号墳は89・90号墳の北斜面途中にあるがチョット分かりにくい。ここで1日目終了。
2日目 7時半~12時(上図青系矢印)
JR草津線の小さな踏切を渡り酒入さこうど林道に入る。園養寺参道への分岐辺りから112・111号墳、そして75号墳に寄り、林道に戻る。林道を南進し、林道西上の130号墳、林道沿いの133→132→127→118号墳。林道を西進し、95号墳から99号墳、そしてB-5支群内をグルグルっと。また林道に戻り、南に渡るコンクリート橋の脇にある109号へ。B-4支群は林道と崖下の渓流との間にあり、急すぎて墳丘は辿れない。まずは109号墳から渓流に降り、対岸を西進しながら109~105号墳を北望する。また109号墳に戻り、今度は林道側から109~105号墳を確認。林道に近い103号墳(石室の一部露出)の墳頂から104・105号墳の墳頂を確認。103号墳頂に戻り西横の102号墳。最後に林道が二股に分かれた中洲のような尾根にある101・100号墳でB支群終了。

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全体および他支群は下記で。

園養山古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

園養山古墳群A支群

園養山おんようざん古墳群は、滋賀県湖南市三雲にある滋賀県下でも有数の古墳群。現在190基確認されている。2024年1月28日(日)・29日(月)、2月17日(土)訪問。

 

A支群は「園養おんよう寺」を取り囲むように所在している。

*山中の古墳散策は冬場限定(草深く、蚊の多い時期は厳禁)。軍手・コンパス等必携です。

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園養寺

JR草津線の「三雲駅」と「貴生川きぶかわ駅」の間、線路沿い西側にある。「三雲駅」から線路沿いの道を徒歩25分程(1.7㎞)。踏切の無い線路を渡って行く。ここが園養山古墳群散策の起点になる。なお三雲駅近辺(1km以内)にはコンビニは無く、園養寺には自販機もありません

                          園養寺への途中にある石碑跡

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

天台宗で、開基は伝教大師最澄、創建は延暦年間(782~806年)と伝わる。本尊は大日如来坐像・十一面観音菩薩坐像。

参道西望                      山門西望見上げ   

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

本堂西望

本堂手前の右手(南東)に石の鳥居があり、ここを抜けて階段を上ると鐘楼がある。

鐘楼西望。黄〇が29号墳の開口部。A支群巡回の起点になる。

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A支群

A支群は1~59号墳。石室は、渡来系の持ち送りの急な穹窿きゅうりゅう式(畿内型B類)で構成されている。この地域では6世紀中葉から造営されている。

A支群分布図 赤〇が園養寺本堂、青〇が鐘楼。右が北

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

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古墳群の分布図等詳細は、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。

全て円墳で、墳丘規模の「径〇m」は長軸方向の長さ、玄室等の高さは土砂堆積床面からの高さです。なお、同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。

*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。

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*『調査報告書』では小グループ分けはされていませんが、便宜上近接する2~数基ずつの小グループに分けて、号数順に掲載します(小支群分けは筆者の独断です)

実際に散策した順番は、号数順ではなく、目印の明確な所を起点として、連続して巡れるルート(巻末に記載)を辿っています

なお、1~48号墳は2024年1月28日(日)・29日(月)、49~58号墳は2月17日(土)訪問。

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A支群北側

園養寺の北側(右が北) *等高線は2m間隔

*「調査報告書-」P158-図44を編集・加工

A-1支群

1~3号墳。近接しているわけではないが同じ様な立地である。

 

1号墳 鐘楼から北へ250m程離れた所、40m程東下には線路が通る。A支群の最北端、径11mの円墳。南北方向に幅0.75m程の石室跡が残るらしいが(体力限界で)確認せず。

北東望

*(1~48号墳の)写真の日付表示が「2023/01/・・」となっていますが設定ミス、2024年が正当です

 また号数順に巡った訳ではないので、日付表示に連続性はありません。

 

2号墳 1号墳の30m程南南西で尾根筋の15m程高い所にある。径12mで墳頂は削平され平坦らしいが、(体力限界で)確認せず。

西望見上げ

 

3号墳 2号墳から70m程南南西。墳丘改変が著しく規模は不明。石材に隙間があるらしいが、土砂堆積で内部不明とのこと。(体力限界で)確認せず。

北西見上げ

 
A-2支群

4・5号墳。他から西上方向に離れた中腹に、2基が近接する。

 

4号墳 径8.5m。南東向きの玄室遺存、天井石の一部は抜き取られ、長さ3m・幅1.55m・(床面は埋没し)現在の高さ1.5m、狭いが入室可能。側壁石材は比較的大きい。

*周辺には同様の石材がゴロゴロしており、少し戸惑った。

北望                        北西望

開口部俯瞰                     玄室

 

5号墳 4号墳北東下の緩斜面にある。径8mだが墳丘は封土の流失が顕著で、不明瞭。古墳状隆起の可能性もあるとのこと。

北東望                       墳頂付近東望

 
A-3支群

6~12号墳。7基が密集する。

 

6号墳 径6.5mだが封土の流失が顕著、墳頂に陥没跡があり、石材が散在。

北西望                       墳頂南望

 

7号墳 径10m、墳丘良好。横穴式石室が南向きに開口、天井部はほぼ滅失、玄室部分は完存。現長3m程・幅1.58m・現高1.4m。持ち送りの急な穹窿式。

西望                        玄室北望

 

8号墳 径12.5m、南側が削平され南向きの玄室露出。天井石はほぼ滅失、玄室の現長2m程・奥幅2.35m・高さ2.15m。持ち送りの急な穹窿式。

南望                        北望

 

奥壁と(奥から見て)右側壁接合部           奥壁と左側壁接合部

 

9号墳 径13.3m。墳頂は削平され平坦。

北西望                       北望

 

10号墳 7号墳の崖下にある。径6.5mだが墳丘は封土の流失が顕著でよく分からない。

7号墳西横から南東見下ろし

 

11号墳 径7.8m。位置的にはこの辺りだが、墳丘封土の流失が顕著でよく分からない。

南東望見下ろし

 

12号墳 径9.5m。『調査報告書』にはーーー墳丘封土の流失が顕著とあるが・・?。

石材が散在。

西望見上げ

 

A-4支群

13・14号墳。 A-2支群の南側中腹に、2基が近接する。

 

13号墳 径10m。墳丘は良好。墳頂に苔むした石材や陥没孔。

北西望見上げ                    墳頂北望

 

14号墳 13号墳の東北東約20m下にあり、径8.5mで、小さな陥没孔がある。

東北東見下ろし                   東望

 

A-5支群

15~19号墳が尾根の急斜面に連続して並ぶ。

 

15号墳 径12.5mで墳丘は良好。石室天井部隙間から内部を覗ける。

東望                        墳頂東望

赤〇が天井部隙間

*自撮り棒用のカメラの不具合で内部撮影できなかった。『調査報告書』にはーーー

石室は完存し、南東に開口。羨道幅1.25m、右片袖式の玄室長3.4m・幅2.1m・高2mで、小型石材を10段程積上げた穹窿式。天井は3石構成。当古墳群では造営初期の6世紀中頃のものーーーとある。。

 

16号墳 径12m、墳丘は良好。石室完存、羨道は埋没するが、天井隙間から内部を覗ける。

東望

玄室長3.2m・幅2.13m・高さ1.55m、窮隆式。

 

17号墳 径11.5m、墳丘は良好。陥没孔有り。

東望

 

18号墳 径12m。墳丘は良好。3石構成の(奥壁側の)天井部が僅かに開口。

東望見下ろし                    墳頂西望

羨道幅1.05m、南向きの右片袖式で、玄室長3.2m・幅2m・高1.45m、持ち送りの急な穹窿式。6世紀後葉造営と思われるとのこと。

右側壁                       右側壁と奥壁の接合部

 

19号墳 径12mで墳丘は良好。A-7支群の24号墳から開口部が見える。

24号墳から北北西望(赤〇が開口部)

東望                        墳頂南望(天井部の隙間) 

石室完存、羨道長3.05m・幅0.98m、右片袖式で玄室長3.3m・幅1.8m・高2.1m、側壁の石材が大きく、奥壁最上段は大型石材1石。中高式天井で6世紀末築造と思われるとのこと。

 
A-6支群 

20~23号墳。園養寺鐘楼広場の北下~北東下の線路側斜面に近接する。

鐘楼広場から直接降りるなら広場の北西角=(宝篋印ほうきょいんっぽい)石碑の左奥(北西)からなら何とか行ける。

 

20号墳 園養寺鐘楼広場の北側斜面。墳丘は不明瞭で規模不明。大型石材が露出とあり、位置的にはこの辺りなのだが・・・そんなに大型ではないが・・・?。

南東望見上げ(写真右上が鐘楼広場)          東望見下ろし 

 

21号墳 径8m、東側が削られている。

遠景南望             近景               東望見下ろし(右赤〇が23号)

結構大きな石材なので、これが20号墳かもしれない。

また、『調査報告書』では石室完存とあるが開口部が見当たらないので、これではないかもしれない。ただ、下から見上げてもそれらしき所は見当たらないのだが・・・?

『調査報告書』ではーーー南東向きの石室で、前側の天井石が落下しているが、玄室の保存状態は良好。右片袖式の玄室長3.15m・幅1.65m・現高1.62m、持送りは殆ど無く、残存石材2石の平天井ーーーと、ある。

また後日再確認の際、周辺に石材はあったが、「調査報告書」の位置図とは違う。

鐘楼広場南西斜面中腹                鐘楼広場南西斜面下

 

22号墳 径5.5m。墳丘は封土の流失が顕著とある。位置的にはこの辺り・・・。何か自然石らしからね石材が・・・。

西望

 

23号墳 径5.5m。『調査報告書』ではーーー墳丘は封土の流失が顕著、石材等は見当たらないーーーとあるが・・・。崖っぷちに石材が。

南望                                北西望

なお、上の左端・右端写真に見えるように木の根元辺りにワイヤーが張られている。そして22~23号辺りは平らに整地されているので、この周辺は『調査報告書』当時の地形等がかなり改変されているのかもしれない。

 
A-7支群

24~29号墳。A-5支群の19号墳から谷を挟んだ南東尾根に連続する。一番下の29号墳は、すごく分かり易い。

 

24号墳 径10.3mで墳丘南側が削られている。

西望

*自撮り棒用のカメラの不具合で内部撮影できなかった。『調査報告者』には、次のように記載されている。

南東向きの石室の天井部が崩落、羨道方向は埋没するが、奥壁側は小型石材の多段積み(最上段は1石)、現長2m程、幅・高さとも1.3m程の穹窿式。

 

25号墳 径11.5m、封土流失が顕著で墳頂に大きな陥没跡。

西望見上げ                     墳頂東望見下ろし

 

26号墳 径7.8m、封土流失が顕著で、よく分からない。

27号墳 径9.5m。封土流失が顕著だが、墳丘っぽい高まりがある。

位置的には26号辺りだが・・・?。          27号西望

 

28号墳 径15m、東側は削平され園養寺敷地内の庭園として利用されている。

西望                        東望

 

29号墳 径11m、鐘楼の西側斜面にあり、東側は削平されている。開口部は鐘楼横の物置小屋脇にある。  

黄〇が開口部                    赤〇が墳丘

羨道幅1.18mだが崩壊、南に開口する玄室は長さ3.2m・幅1.97m・高さ2.5mで群中最大級。玄門部に天井石が落下している(無理すれば何とか入室可能)。側壁は持ち送りが少ない。天井石は、丁寧に磨かれた板石。

西望                        北望

 

A-8支群 

30~36号墳。園養寺本堂の裏(西)側斜面に連続する。

 

30号墳 径12m、墳丘は良好。

東望                        西望見上げ

 

31号墳 径9m、天井石滅失、南向きの石室一部が露出、羨道は埋没、玄室の現在長2.5m程・幅1.55m・高1.5m程。

東望                        南東望

北西望

 

32号墳 径9m、墳丘良好。

遠景西望見上げ                   近景西望

 

33号墳 径10.5m、墳丘良好

遠景西望見上げ                   墳頂東望

 

34号墳 径9.5m、墳丘良好。

遠景西望見上げ                   墳頂東望

 

35号墳 径11m墳丘良好。内部完存の様で、僅かに隙間があるらしいが確認し忘れた。

遠景西望                      墳頂東望

 

36号墳 園養寺本堂の西上斜面。径6.8m、墳丘は不明瞭、自然石散在。

南東望(向こうの下側が本堂。本堂からは直接登って来れない。)

 

A支群南側

園養寺の南側(右が北) *等高線は2m間隔

*「調査報告書-」P158-図44を編集・加工

A-9支群

37・38号墳。園養寺本堂のすぐ左(南西)上の急斜面に2基。

 

37号墳 径8.7m、封土流出顕著、石室石材が一部露出するらしい(確認せず)

西望見上げ

 

38号墳 径7.3m、墳頂が削平され天井石露出するが内部は埋没。

東望                        西望

墳裾から園養寺境内俯瞰               園養寺境内から西望(黄〇辺りが38号)

 
A-10支群

39~42号墳。 A-9支群から西へ登った尾根筋高所。

 

39号墳 径10m。

東望見下ろし                    墳頂東望

 

40号墳 径12m。背後の尾根を切った墳丘が良好に残る。南東向きの小型石室は殆ど埋没するが上下2ヶ所に隙間がある。石室は小型石材の多段積み。

下段の隙間(石材は前壁の楣石?)

上段の隙間(天井石?)

 

41号墳 径10m。墳丘良好。墳頂に石室の天井石が露出。

東望                        墳頂

 

42号墳 径12.5m、墳丘良好。墳丘に小さな陥没孔(ほぼ埋まっている)。

墳丘東望

A-11支群 

43~48号墳。 A-10支群から尾根を下った所に連続する。

 

43号墳 径10.8m、墳丘良好、天井石が露出。中は土砂で埋まっている。

東望                        西望

 

44号墳 径11.5m、墳丘明瞭。僅かに開口している

『調査報告書』には、「羨道・玄門部が崩落するが僅かに南東向きに開口、玄室は幅2.1m・高1.2m、完存するもかなり埋没。石材は比較的大きく、奥壁最上段は大型の1石」とある。

 

45号墳 径9.5m、墳丘良好。天井石が一部滅失し、南東向きの玄室が覗ける。玄室の現在長2m程・幅1.5m・高1.1m以上。

 

46号墳 径13.8m、墳丘良好。石室完存、羨道長3.9m・幅1.15m、羨道は狭い。

『調査報告書』ではーーー南東向きに開口する右片袖式の玄室長3.4m・幅2.18m・高2.5m、天井は3石構成、持ち送りが急な穹窿式、6世紀後葉造営と思われるとのこと。

東望

                     奥は撮影できず。

 

47号墳 径9.2m。墳丘東側が削られ、石室石材が露出。

墳頂東望                      墳丘東斜面北望

西望見上げ

 

48号墳 A-11支群尾根筋から少し南にズレ、47号墳より少し南西上にある。径6.5m、封土流出が顕著。位置的にはこの辺りだが、よく分からない。

 

A-12支群

49~53号墳。50~53号墳は麓近くにあるが、49号墳だけ標高20m以上離れた尾根筋の高所にある。

 

49号墳 径8.5m、良好な墳丘のみ。

目立った特徴がないので確信はないが、(南側)谷筋の最高所北側にあるので多分・・?

西望見上げ            墳頂東望             東望見下ろし(50号は遥か下)

 

50号墳 径10m、良好な墳丘のみ。

西望見上げ                     墳頂東望

 

51号墳 径8.5m。墳丘は良好、天井石滅失、南東向きに開口する玄室後部が遺存。現長2.9m・幅1.7mで奥壁4石構成で5段、持ち送りが急。

北西望(赤〇が開口部)                現開口部

右側壁               奥壁               左側壁

現開口部の反対(南東)側=本来の開口部方面=おそらく玄門上部(前壁)の楣まぐさ石?

 

52号墳 径10m良好な墳丘のみ。

南西望                       墳頂南東望(若干窪んでいる)

 

53号墳 径8m、封土の流出が顕著、石室跡らしき石材が露出。

遠景南西望                     近景

石室跡石材南西望                  墳頂から東望(黄〇が石室跡石材)

 

A-13支群 

54~59号墳。 

 

54号墳 A-13支群尾根筋のかなり急坂高所にある。むしろA-12支群の49号墳に比較的近く、49号墳から谷筋を超えて南西方向にある。径12.5m、墳丘良好、『調査報告書』ではーーー墳頂に石室天井石露出ーーーとあるが体力的に確認せず。

49号から南西へ                   54号?西望見上げ

 

55号墳 径12.6m、墳丘は明瞭で、『調査報告書』ではーーー南側に開口部確認できるが、内部は埋没ーーーとあるが確認失念。

西望                        南西望

 

56号墳 径12m、南側が削平されている

東望見下ろし                    西望見上げ

 

57号墳 径11m、墳頂が陥没し周りに石材がある。

 

58号墳 麓近くにある。径6m、封土の流出が顕著、墳頂が陥没。

北西望                       陥没

 

59号墳 56号墳と57号墳の間で、尾根筋から南にズレた急斜面にある。『調査報告書』にはーーー径8.5m、墳丘・石室良好。玄室長2.9m・幅1.7m・高1.45m。持送りの急な穹窿式ーーーとあるが体力的にスルー。

56号と57号の間から南望

 

 

==============【A支群の探索経路】=============

 *あくまで私の辿った経路で、色んな経路が考えられます。

1日目 A-7→A-8→A-10→A-11・A-9支群(下図黒矢印)

2日目 (A-7経由)A-4・A-2→A-5→A-3→A-1→A-6支群(下図赤矢印)

3日目 A-12→A-13支群(下図緑矢印)

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

1日目 9時~13時半(上図黒矢印)

まず本堂から鐘楼に向かう。起点は一番分かり易い29号墳。29から24号墳まで連続するA-7支群を登る。24号墳から南東側の36号墳(本堂の西上斜面)に移動し、最高所の30号墳まで連続するA-8支群を登る(本堂から36号へ直接は行けない)

そして30号からA-10支群39号に移った。
*実際には、最高所の30号墳から北進し15号墳に移る予定だったが、かなり離れている上に方向が少しズレたためか見つからず、30号墳に戻る時20~30m滑落。滑落地点辺りまで登り直したが自分の位置を見失い、気付けば墳丘が見えた。結果これがA-10支群の39号墳だった(本堂屋根が左下(南東)に見えた時点で気付いた)。
39号墳から42号墳まで連続するA-10支群を下り、43号墳からのA-11支群に移る。45号墳まで下りた所で、北西に墳丘が見え、37・38号墳=A-9支群に寄り道。本堂への降り口を確認した後、A-11支群に再び戻り、46~48号墳を経由して、園養寺参道南側の(酒人)林道に至った。
*滑落時デジカメの1台を紛失したため、そのカメラで撮影した29~24号墳=A-7支群と36~30号墳=A-8支群を再び訪れ、1日目を終了。

2日目 8時~13時(上図赤矢印)

1日目同様起点は29号墳。29号墳からA-7支群の最高所の24号墳まで登る。24号墳から深い谷の向こう(北側)に19号墳の開口部が見える。この深い谷を越えるのは無理そうなので、24号墳から谷沿いを(北側のA-5支群を見ながら)、谷の切れ目まで登る。今回は(A-5支群最高所の)15号墳がすぐ見つかった(墳頂の天井石崩落部分から石室内が覗けるので15号と確認できる)。15号墳北側にあるA-4支群の13号墳もすぐ分かる(墳頂に石材や陥没孔が確認できる)。北東下に14号墳が見える。14号墳から緩斜面を北に下っていくと石材がアチコチにあって少しややこしいが、A-2支群4号墳の、特徴的で入室可能な露出石室がある。4号墳から緩斜面の東北東下に5号墳。ここから4→14→13→15号墳に戻る。そして15号墳から連続するA-5支群を19号墳まで下る。19号墳からA-5支群南側の深い谷に降りる(強烈な急斜面なので降りるというより「滑り落ちる」という感じ)。谷筋を東に下っていくと緩斜面に出る(緩斜面の南側上には28号墳の丸い墳丘が見える)。北側の尾根斜面上に見える墳丘がA-3支群で、その東端が12号墳。11号墳はハッキリ分かりにくいが、平たく削平された9号墳の墳頂と、その南側の、露出石室が特徴的な8号墳は分かり易い。8・9号墳西側の7号墳も、露出石室が特徴的で分かり易い。7号墳のすぐ北西に6号墳(墳丘に石材散在)。7号墳と6号墳の間から北北東に下っていくと3号墳。更に下ると2号墳。A支群北端の1号墳東下にはJR草津線の架線?が見える。1→2→3→6~12号墳を経由して緩斜面に戻る。28号墳の丸い墳丘の東側の高台っぽい所が鐘楼のある広場。広場の北側~北東斜面下に20~23号墳=A-6支群がある。最後は緩斜面に戻り、28号墳北側下から28号墳に上がって、A支群北側を終了。

3日目 10時半~12時(上図緑矢印)

47・48号墳から浅い谷を越え53→52→51→50号墳と登る。50号墳から左(南)側の谷筋を見ながら、谷筋の切れ目辺りまでひたすら登った所が49号墳。49号墳から谷筋の切れ目を南西へ行くと54号墳辺り。そこから尾根筋をかなり下った所の墳丘が55号墳。すぐ下に56号墳。

尾根筋を57号墳に下る途中、南側に59号墳があるがスルー。57号墳を経て麓近くの58号墳まで至る。(58号墳から浅い谷の南西側に見える墳丘がB支群の74号墳で、午後はB支群を回った)

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全体および他支群は下記で。

園養山古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

ウトジ池古墳群

大阪府和泉市いぶき野4丁目。泉北高速鉄道=和泉中央駅の北西「中央公園」内にある。

大阪府地図情報システム(埋蔵文化財) 青い網掛け部分がウトジ池古墳群

中央公園の最上部辺りにある。

遠景北西望                     北望

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

中央公園案内図では「古墳の丘」と表示されている。

 

南西側の墳丘

北望                        西望

北東側の墳丘
東望                        北望

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中央公園内にはアチコチに石室の石材の様なものがゴロゴロしているが・・・。

造成時に出てきた石材なのだろうか?

 

唐国池田山古墳群

大阪府和泉市まなび野。2024年1月17日(水)訪問。

 

元は泉北高速鉄道=和泉中央駅の北東にあった。

大阪府地図情報システム(埋蔵文化財)を編集加工。青の網掛け部分が唐国池田山古墳群。

2基の竪穴式の小石室を「宮ノ上公園」に移築保存。宮ノ上公園の入り口に無料駐車場がある。

宮ノ上公園

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

移築石室保存場所方面西望

移築石室保存場所                           左(南側):6号 右(北側):9号                   

北側の9号はひときわ小さく、長さ1.2m・幅0.6mで大人は無理のようだが・・・。

北西望                       南東望

南側の6号は長さ1.7m・幅0.65m。

北西望                       南東望

 

和泉向代4号 

大阪府和泉市はつが野にある移築石室。泉北高速鉄道=和泉中央駅から2㎞弱。

2024年1月17日(水)訪問。

 

和泉向代いずみむかいだい古墳群は6世紀築造で、元は泉北高速鉄道=和泉中央駅付近に4基あったらしい。

大阪府地図情報システム(埋蔵文化財)を加工編集 青網掛け部分が和泉向代古墳群

 

4号墳(円墳)の横穴式石室のみが「かぐらざき公園」に移築復元された。

武器・装身具・馬具・須恵器等が多く出土したとのこと。

遠景西望                      近景西望

左肩袖式?。全長7m程・幅2.4m。

南南西望(奥壁方面)                  北北東望(羨道方面)

西望                        南東望

 

三林古墳群

大阪府和泉市三林みばやし町。(池田)春日神社の本殿裏や参道の両脇に分布する。

2024年1月17日(水)訪問。

 

車は春日神社駐車場に停められる。なお、春日神社参道前にバス停がある。

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

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6世紀後半~7世紀前半の古墳群。春日神社参道の左右、本殿周辺に、現在19基が確認されている。大正時代に開墾のため48基が取り壊されたとの記録もあり、もとは70基以上~100基近くが存在したらしい。

春日神社/三林古墳群 | 池田エリア | 和泉市の文化財紹介 | 弥生時代の歴史が眠る街 和泉市の文化財

春日神社参道                    春日神社拝殿

春日神社創建が神護景雲2年(768)と伝えられ、古墳群築造後1世紀後に、神社が創建されたことになるが・・・・(春日神社は巻末参照)。

大阪府地図情報システム(埋蔵文化財)には以下の通り19基の表示がある。

以下、当日巡った順(①~⑨)に掲載します。

番号〇は巡った順。緑〇は大阪府地図情報システム(埋蔵文化財)に表示はあるが、確認できなかった墳丘。

上図①

本殿裏の1基は最も規模が大きく(40m程?)、本殿裏のやや高所に位置する等からして盟主墳丘の可能性があるとのこと。

南西望                       北西望

北東望                       墳丘から南西望=本殿

大阪府地図情報システム(埋蔵文化財)には、この北西にもう1基表示されているが、それっぽい所は確認できなかった。

 

上図②

参道に戻り、参道入り口付近の石標東横に、それらしき高まりがある。

南東望                       南望

大阪府地図情報システム(埋蔵文化財)には、ここから東に2基並んで表示があるが、それらしき所は確認できなかった。

 

石標から林の中=北東に少し入ると3基の墳丘が見える。

 赤〇=上図④          水色〇=上図⑥           黄〇=上図③    

 

上図③ (ある資料では12号墳とある)

石室が遺存し、入室できる。

東望                        北東望

南西向きに開口する。開口部前には羨道跡(3.6m)が残る。開口部は幅60㎝程・高さ80㎝弱。

壁面は全て人頭大の川原石が内傾して積まれている。奥壁には盗掘孔?がある。

無袖式の玄室長5.4m・幅1.2m・高1.4m前後。今迄あまり見たことのない石室である。

 

上図④

墳頂に窪みがあり、南西向きの石室跡と思われる。

北西望                       墳頂北東望

 

上図⑤

墳頂に明瞭な窪みがあり、南西向きの石室跡と思われる。

④から遠景北西望         近景                墳頂の窪み北東望

 

上図⑥ (ある資料では10号墳とある)

南西向きの石室が遺存し、何とか入室できる。開口部前に長さ3m・幅0.6mの羨道跡がある。

遠景北東望                     近景北東望

開口部は幅55㎝・高さ80㎝。仰向けに寝て滑り込むように入室。

前記③よりかなり小振りだが、同じ様式。玄室長2.8m・幅0.9m・高0.85m。

 

上図⑦

⑥の北西。

 

上図⑧

大阪府地図情報システム(埋蔵文化財)では、この南東側にも4基表示されているが、それらしき墳丘は確認できなかった。

⑧の墳丘                      ⑧の南東側

 

上図⑨
参道入り口付近の南側。墳頂に僅かな石材が残るのみ。

大阪府地図情報システム(埋蔵文化財)には、この東側にも3基表示されているが、樹木が茂り確認できなかった。

 

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春日神社

御祭神は武甕槌たけみかづち命・経津主ふつぬし命・天児屋根あめのこやね命・比賣ひめ大神。

拝殿                        縁起

奈良時代、神護景雲2年(768)常陸国より武甕槌命・経津主命が大和国の御遷座の折、近郷の民がこの地に集い頓宮を造営した。次いで河内の天児屋根命、比賣大神を祭祀して春日大明神とし、和泉国池田郷の鎮守として崇敬した。

拝殿前の道標                    拝殿南東側(左:意賀美社・右:穂椋神社)

参道脇の古墳官地にして御林みばやし、上林かみばやしとも称され、固有の神として氏神、産土うぶすなの神、鎮守の杜 となり広く生活の中に伝承されてきた。江戸時代享保3年6月19日正一位の神位を授かり、南池田村・北池田村(7か村)を氏子として守護、その社地は40680坪(境内5100坪)を所有したとのこと。

当日も朝早くから参拝者がおられた。

拝殿北東側の水屋権現社

拝殿北東側の玉福稲荷社

春日神社(和泉市三林町) | 春日神社について

下のHPには三林古墳群の記事も見られる。

春日神社(和泉市三林町) | 神社のあれこれ

黒石古墳

大阪府和泉市黒石町の集落内にある。「黒石塚穴古墳」とも「黒石1号墳」とも呼ばれるらしい。2024年1月17日(水)訪問。

 

古墳周囲は狭い道なので車は停められないが、150m程南側に停めるスペースがある。

赤〇が黒石古墳(東望)

なお、近くにバス停がある。

黒〇=バス停                 緑丸=黒石古墳     赤い小さな🔴=駐車可能位置 

バス停

バス路線図と時刻表

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

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6世紀後半築造の径20m程の円墳だったらしい。全長9.2mの横穴式石室が残る。大正時代の「泉北史蹟志料」には数十基あったとされるが、現在はこの1基が残るのみ。

開口部は小さな祠の様になっており、パット見は古墳と気付かないし、石室が遺存するとも思えない。

横穴式石室は、祠の扉を開けた裏にある。祠の高さ145㎝。

開口部はブロックで補強されている。現存する羨道長3.5m程・幅(開口部側)1.65~(玄門側)1.9m前後・高1.7m強。

なかなか立派な玄室で、奥壁前には小さな祭壇が設えられている。玄室長4.8m程・幅2.4m程・高2.3m程。奥壁は大きな1枚岩の上に3石。

側壁は割と丁寧に加工されている。

両袖式で袖石は結構大きな1枚岩。

天井部は、羨道も玄室も大きな石材。

羨道天井(北望)                   玄室天井(南望)

【参考】

黒石古墳群 - 和泉市黒石町町会

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黒石古墳の西にある西福寺境内には、本墳石棺の蓋と伝わる板石碑がある。