OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

拝戸古墳群

拝戸はいど古墳群は滋賀県高島市拝戸、音羽古墳群の北西1㎞程。水尾みお神社一帯から拝戸団地の南側山腹周辺にある。5世紀末~6世紀代の3支群26基の古墳群。2024年10月21日(月)に訪れたが位置を勘違いし、2024年10月26(土)に再訪問。 

 

かなり古いが「滋賀文化財だよりー1993年4月NO183ーP6」の「24.第3支群測量調査~中間報告~」に10号墳・8号墳の調査結果が掲載されている。

https://www.shiga-bunkazai.jp/wp-content/uploads/site-archives/download-dayori-183.pdf

更に古い(1987年3月)関西学院大学考古学研究会の「関西学院考古NO8」ーP27~P32

「滋賀県高島郡高島町拝戸古墳群第3支群第10号墳現状実測調査報告」にも記事が掲載されている。(第1支群3基・第2支群12基・第3支群11基=計26基とある。)

関西学院考古 - 全国遺跡報告総覧

また、「広報たかしま2021年(R3)2月号」ーP28「高島市-歴史散歩-NO194」に古墳群全体や第3支群10号墳等に関する記述がある。拝戸古墳群位置図も小さく掲載されている。ただ記事中には「第1~3支群合計26基」とあるが、下図の通り第2支群には14基の古墳表示、第3支群には11基。第1支群を3基とすると28基になるが・・・?

https://www.city.takashima.lg.jp/material/files/group/11/028_28399873.pdf

 

第1支群 

水尾神社裏山山頂にあり3基で構成されるらしい。1号墳(皇子塚古墳)は径20mの円墳で横穴式石室。2号墳(R3年調査)は辺25~30mの方墳で木棺直葬。もう1基は横穴式石室の円墳とのこと。

とても行けそうにないのでパス。

水尾神社 西望                   裏山遠景 南西望

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

 

第3支群

第2支群より北側の麓にあるので先に掲載します。

水尾神社鳥居南東の昌泉寺付近に進入口がある。

 

一の鳥居前を左(南)へ入る。 

昌泉寺前から害獣除け可動フェンス(施錠されていない)を越える。

南望

可動フェンスを越え、広い林道を道なりに東方面へ。

*季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意下さい。

以下巡った順に掲載します。

10号墳

広い林道脇に大きめの低墳丘がある。墳丘は無縁墓地の様になっている。

遠景北東望                     近景北東望

2段築成の帆立貝形古墳。全長25m、後円部径約20m(墳頂径約7m)、前方部幅約8m。築造時期は5世紀代に遡る可能性があり、葺石の存在が推定されるとのこと。

前方部南西面 北西望                前方部北東面 南西望

墳頂に約3mの窪みがあり、幅1m程の天井石2石が露出する(内部は埋没)。

南西望                       近景南西望

人頭大の石(葺石?)の各々に花活け用の筒が設置されている。

南東望 (墳裾見下ろし)

8号墳

「関西学院考古 NO8」ーP31に『(10号墳の)すぐ北側には、横穴式石室を前方部と後円部にそれぞれ内包する全長約19mの前方後円墳(第 8号墳)が存在するが、本墳との境付近に幅約3m、深さ0.2m程の溝が見られる』とある。その後「滋賀文化財だよりー1993年4月NO183」では『長辺20m・短辺18mの長方形墳と判明した』とある。

ただし、現在10号墳北側は林道で、その北側は害獣除けフェンスで遮られている。

 

10号墳南東側の第3支群

南東側の林への進入口(墳丘南東隅の墓石を越える)

3-1号

10号墳から南東の山林に入ってすぐに1基ある。(仮に3-1号とします。以下巡った順に3-〇号と表記)。

全壊の横穴式石室がある。石材は割と大きい。

北西望                       南西望

3-2号

南東隣りの墳丘にも崩壊石室がある。

北東望              墳頂に崩壊石室北望         南西望

更に奧に8基が集っている。

3-3号

8基のうち3-2号に一番近い。

北東望                       墳頂

第2支群から戻る際、この辺りで石室を見つけた。第2支群で頭が混乱し、ハッキリとしないが、整理の都合上3-3号に記載する(3-4号か3-5号かも・・・)。

多分墳丘の北東側??

3-4号 

3-3号の北東側。墳丘のみの様だが・・・。

3-5号

3-3号の南東側。墳丘のみ。

東望                        墳頂北東望

3-6号

3-5号の北東側、東側には民家が見える。墳頂に2ヶ所の孔がある。

東望                        墳頂南西望(2ヶ所の孔)

ピンク〇(北東望)                  黄〇(南西望、石室が見える)

黄〇(自撮り棒を挿し込んで撮影)

3-7号

3-6号の北東側、8基あるうちの北東端になる。南面に石材が残る。

3-6号から遠景北望                 南面の石材 北西望

3-8号
3-6号の南側。墳丘のみ。

3-6号から遠景南望                 墳頂北東望

3-9号

3-8号の南西側、墳丘のみ。8基あるうちの南西端になる。

3-8号から南西望。

3-10号

3-8号の南側、8基あるうちの南東端になる。東側は民家っぽい。

3-8号から遠景南望                 墳頂東望

墳丘西側は抉れている。

墳丘南東望                     遠景東望

3-10号の西側(=3-9号の南西側)辺りに、大きな石材が溝(雨水流路?)脇にあるが・・・?

 

第2支群 

第3支群から、南の急斜面を登り詰めた尾根上。尾根上は南北に細長い平坦地となっているとあるが、シダ等が繁茂しており、平坦地という印象はない。

*拝戸古墳群について詳細な下記ブログを参照下さい(結構以前の記事と思われますが・・・)。

大和國古墳墓取調室

 

2-1号

平坦地北端に石室1基が開口する(仮に2-1号とします)。経路について確かな目印はなく、ほぼ偶然に石室に行き当たった。

南望

奥壁側が倒壊して、入室できる。

羨道方面南望

右片袖式の玄室長4.5m・幅2.7m・現高1.3~1.5m程。幅広の右袖部上の天井部に盗掘孔?らしき孔がある。羨道はほぼ埋まっており、幅は1m程しかない。あちこちに白いもの=漆喰跡?が付着している。

羨道と右袖部                    羨道

左側壁                       右側壁

持ち送りがかなり急で高島地域最古の横穴式石室と考えられているらしい。

天井部と右袖上の孔                 (奥壁)開口部

2-1号以外

前記ブログにはーーー「(2-1号の)背後から南奧に向かって西と東に1列ずつ並ぶ。西側列に7基が一直線に並び、いずれも低い盛土に石材が散乱するが、最も南奧の1基では石室側壁の一部が露出。東側は南奥から北に向かう8基。・・・・・・」とあり、整然と並んでいるイメージがあるが、シダ等が繁茂し、全くよく分からなかった。

以下巡った順に2-〇号と表記します)。

ただし前記ブログの情報と、殆ど合致しないのでご容赦ください。

 

2-2号

南望

2-3号

南望

2-4号・2-5号

2-4号南望                      2-5号南望(墳丘のみ)

先に行けそうにないのでここから北に引き返す。

以下は南から北方面に戻って行く。

2-6号

石材が落ち込んでいる。

その右側?に孔が、石室が遺存しているようだ。

2-7号・2-8号

いずれも石材が散在。

2-7号                       2-8号北西望

2-9号・2-10号

ここも石材が散在。

2-9号南望見上げ。墳丘に大きな石材。        2-10号北望見下ろし。

2-11号・2-12号

2-11号は石材のみ。2-12号は明瞭な墳丘。

2-11号                       2-12号(3-10号だったかも?)

2-13号

石室石材だろう。

2-14号

墳頂が平坦で石材散在。

北西望?                      北望?

 

 =====================================

水尾みお神社 

一の鳥居                      二の鳥居

式内社(=延喜式神名帳掲載社かつ名神大社)で、旧社格県社

社伝によると第15代応神天皇の第11皇子=総別はやふさわけ王も当地に来住した。更にその4世孫である彦主人ひこうしは、振姫ふりひめを妃に迎え、振姫は水尾神社の拝殿を産所として継体天皇らを出産したという。その出産時、彦主人王は仮社を建てて安産を祈ったとのこと。

境内案内図

磐座(かなり大きい)

庭園(H8年完成)  拝戸古墳群の石材が幾つも使われているのだろうか・・・?

拝殿                        本殿