2022.11.26(土)。春日山古墳群は滋賀県大津市真野谷口町。
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春日山丘陵上で、前方後円墳2基を含む200基以上の古墳群。4世紀後半の前方後円墳2基を除き、多くは6世紀中頃~7世紀前半築造で、横穴式石室を主体部とする小円墳。堅田・真野地区は、古代には滋賀郡真野郷に属し、大和国の和邇(わに、現奈良県天理市櫟本)を本拠とした和邇氏が真野郷を治めていたとされ、春日山古墳群は和邇氏の墓域と推定されている。以前は、5つの支群(A~E)に分けられ、171基が確認されていたらしいが、その後新しい古墳の発見が続き、現在支群の数は11(A~K)、計200基以上とされている。その中でE支群は「春日山古墳群」として国の史跡に指定されている。E支群以外は、主に春日山公園として保存整備されている。
古墳群の資料として、少々古いが1995年3月滋賀県文化財保護協会の「紀要第8号」がある。その中の『図5春日山古墳分布図』が分かり易い。なおこのブログ記事中の墳径・高さ等の情報は全て、この資料の引用です。
http://www.shiga-bunkazai.jp/download/kiyou/08_iwahashi.pdf
『図5春日山古墳分布図』に現在の道路等を挿入加工
春日山古墳群=E支群
E支群は、春日山公園の南側にある「妙法寺」サイドから行ける。妙法寺への分岐を左に上って行く。登り口すぐに案内板がある。
順路 分岐 黄〇=案内
*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。
下記分布図は前掲分布図を部分拡大し、一部加工したもの(白丸=全壊、青丸=半壊)。灰色線は「道または開けた所」ですが、あくまでイメージです。
滋賀県文化財保護協会「紀要第8号」『図5春日山古墳分布図』を部分拡大・主な道等を挿入加工。
E支群は前方後円墳2基、円墳30基の計32基。4世紀後半~5世紀初頭に前方後円墳2基築造以降、5世紀前半~6世紀前半頃に木棺直葬と箱式石棺の円墳5基が造られ、以降6世紀後半から円墳の群集墳築造が始まったとされる。円墳の大部分が横穴式石室を有するが、一部箱式石棺・木棺直葬のものがあるらしい。
分岐すぐの案内
以下、前掲分布図に沿って、巡った所を順に掲載します。
11号墳
案内板後方辺りが11号墳。径19m・高さ3m、墳頂部に箱式石棺が露出するらしいが、アクセスは厳しいので、14号墳方面への分岐から、南方向の9号墳に向かう。
案内板後方 北方向に上って行く 14号方面 黄矢印=9号墳方面
*写真は2022年11月。季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意下さい。
9号墳・10号墳・14号墳
道が途中で途切れており、木々の間を縫って行く。9号墳は径20m・高さ4m、天井石が3石露出し内部が見えるらしいが、それらしい露出天井石は見つけられなかった。また10号墳はやや楕円形で約35m×26m、高さ4~6mで半壊状態だが、墳頂部は平坦らしい。14号墳は、法面に石垣が施設され、その北東角辺りで、径15m前後だったらしいが墳丘は削平されている。
9号墳方面 9号墳辺り? 10号墳? 14号墳跡
7号墳・13号墳・8号墳
石垣に沿って西方面に上って行くと、すぐ石垣と石垣の間に南南西方向への道がある。道沿いすぐ左(東)側に7・13・8号墳がある。
7号墳は径16m・高さ2.5mで、北西側は道で削られているが、天井石4石が露出し内部が見える。13号墳は、7号墳の北側一段低い所にあり、径24m・高さ2.3mだが、墳頂部は削平され平坦化している。
西方面へ 南南西への道 登り口(黄丸=7号墳) 7号墳南望(天井石)
露出天井石南西望 北西望(東側の隙間) 隙間内部南望 内部北望
南東望 内部(東側壁) 7号墳から13号墳
8号墳は7号墳の東側一段低い所に有り、径16m・高さ2.5mで天井石が露出する。
8号墳へ 露出天井石南西望 西望
1号墳=春日山古墳、2号墳
7号墳から道を挟んで西側にあるが石垣で法面が囲われている。西北西方面に向かう道をもう少し進むと、道に面して左手(南)に進入口がある。その奥に墳丘への登り口がある。
1号墳進入口方面 進入口 奥に登り口 登り口
E支群に2基ある前方後円墳の1基。前方部を南西に向ける。前方部幅が後円部に比べかなり狭い柄鏡形で、4世紀後半~5世紀初頭の前方後円墳。全長65m、後円部径約32m・高さ5m、前方部幅20m・高さ3.5m。段築・埴輪・葺石や周堀は確認されていない。主体部は未詳で木棺直葬とみられるが、後円部中央に窪みがある。2号墳が登り口のすぐ西側にあり、径12m程で半壊している。
1号墳後円部北東望 窪み 後円部から前方部方面 前方部
前方部から後円部方面 後円部墳頂見上げ 登り口西側=2号墳 2号墳東望
1号墳進入口の面する道は更に西北西方向に伸び、12号墳に繋がると思い進んだが、丘陵最高所で行止りになっている。この辺りが12号墳のはずだが、笹薮が密集しており、こちらからはアクセスは難しそうで一旦断念。(*この行止り地点は後記12号墳記事の最初の写真に繋がる。)
1号墳から西北西へ(黄丸は29号墳) 赤線が行止り地点 12号墳方面南西望
E支群-19号墳~22号墳
妙法寺への分岐に戻り、春日山公園北側の入口に移動。古墳ゾーン(=Ⅰ支群)南側の休憩舎奥から南の林道に入る。
春日山公園案内図 古墳ゾーン方面 古墳ゾーン休憩舎 林道へ
2分程進むと、かなり古い(有刺鉄線を張っていたと思われる)コンクリート柱が立つ墳丘様の隆起がある。ここが尾根筋の東端なら19号墳(径11m・半壊)かもしれないが、よく分からない。ここから尾根沿いを西北西方面に上って行く。同じコンクリート柱が尾根筋に何本も立っており、いくつかの墳丘様の隆起が尾根筋沿いに見られ、かなり上った辺りは、位置的には21号墳(径13m・高さ1.3m)・22号墳(径27m・高さ2.5m、墳頂部は平坦)。
19号墳? 尾根筋見返り 21号墳?南西見上げ 東望見下ろし
21号墳?墳頂北西望 西望 南望(石標上はコンパス)
22号墳?西望 墳頂南望 東望
12号墳等
尾根筋を最高所まで登り切った所にある。(*下の左端の写真が前記の行止り地点)
やや開けた所が墳丘。E支群に2基ある前方後円墳の1基。従来円墳とされていたが、1994年調査で前方後円墳と確認されたとのこと。全長54m、後円部径28m・高さ3m、南向きの前方部は幅15mで柄鏡形。主体部は未詳だが木棺直葬と推定される。1995年滋賀県文化財保護協会報告で、4世紀後半~5世紀初め築造だが、12号墳が尾根最高所(標高約153m)で琵琶湖を眺望できる所なので、1号墳に先行するとされる。
行止り地点東望 12号墳後円部南東望 前方部南南西望
12号墳前方部のほぼ南端に3号墳がある。径13mらしいが全壊し石材がいくつか残るのみ。そのすぐ南東に4号墳があったがここも全壊し、石材が残るのみ。
3号墳石材南望 東望 4号墳石材西望
E支群19号→12号墳の巡ったルートのイメージは下図のような感じです。
公園案内 青枠内拡大 赤線がルートイメージ
春日山公園内の支群=G支群・Ⅰ支群
公園入口に近い所にある。下図の白丸=全壊、青丸=半壊。灰色線は「道または開けた所」ですが、あくまでイメージです
滋賀県文化財保護協会「紀要第8号」の『図5春日山古墳分布図』を部分拡大・主な道等を挿入加工
G1号墳
公園入ってすぐ、池の西側に進入口がある。道標の「展望台105m」方面に上って行くと、途中に「石室35m」とあるので分かり易い。
道標 順路
径18m・高さ5mの円墳。半壊石室が開口する。羨道は全壊するが、玄室は天井石2石が残存している。石材は湖東流紋岩とのことで、墳丘前に解説板がある。
G2号墳・3号墳
G1号墳から、谷筋沿いの道を5分程行く。谷側(南下側)に「万葉ゾーン=A支群」の散策路が見える。その少し西側に墳丘様の隆起がある。2号墳は径10m・高さ1.5mで、墳丘は殆ど削平され、石室基底部のみ残存。西側に隣接する3号墳はほぼ残っており、径11m・高さ3.5m、天井石材1個が露出するとのことだが、よく分からない。とは言え他に見当たらなかったので多分G3号?4号墳は尾根筋でアクセス困難で断念。
谷側見下ろし(黄枠線が万葉ゾーン散策路) 多分G3号?西望
一応「万葉ゾーン=A支群」に入ってみたが、時間と体力の関係で途中で断念。
万葉ゾーンへの分岐 この上側辺りからA支群
Ⅰ4号墳
「古墳ゾーン」にあり分かり易い。しかし広場には1基しかなく「古墳ゾーン???」という感じ。一瞬、前掲の「E支群19号→12号も含むのか?」とも思ったが、とても散策路ではなく、案内もない探索路なのであり得ない。Ⅰ4号墳脇にもかなり古い(有刺鉄線を張っていたと思われる)コンクリート柱が立つ(公園造営時の規制柵?)。径33m・高さ4.5m。
遠景北東望 近景北西望 南西望
以上の全行程で3時間強掛かりました。公園については以下を参照下さい。