OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

鴨稲荷山古墳 周辺

鴨稲荷山古墳は滋賀県高島市鴨にある6世紀前半頃の円墳。23号線を600m程北上すると道沿いに胞衣塚がある。2024年10月21日(月)訪問。

 

鴨稲荷山古墳

高島平野中央部、鴨川右岸にあった。明治35年(1902)県道改修工事に伴って家形石棺が掘り出された。現在墳丘は完全に滅失。

進入口南東望       

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

*季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意下さい。

敷地北東隅の案内

本来は前方部を南に向ける墳丘長約50m程の前方後円墳と推定されるとのこと。大正12年(1923)本格的に調査された。家形石棺が後円部から発見され、二上山産の凝灰岩製の刳抜式石棺と判明。発見当時は、長さ9m・幅約1.8m・高さ約1.8mの石室内にあったとされる。

南東望                      

保存覆屋前の案内 

石棺

棺内からは金銅冠、沓、魚佩、金製耳飾、鏡、玉類、環頭大刀、鹿装大刀、刀子、鉄斧が出土(奈良県の藤ノ木古墳に匹敵する副葬品)。広帯二山式金銅冠・捩ねじり環頭大刀・三葉文楕円形杏葉の3品は当時の王権特有の威信財であり、王権中枢との関わりが指摘される。現在これらの副葬品は東京国立博物館に保存され、石棺は現地の覆屋内で保存されている。

滋賀県文化財学習シート「No073」にも掲載されている。

滋賀県文化財学習シート | 滋賀県総合教育センター

 

被葬者は、当地で生まれたとされる第26代継体天皇を支えた三尾みお君(三尾氏)首長の墓との説がある。 

ただ、

・刳抜式石棺材をわざわざ奈良県の二上山から運び入れている

・円筒埴輪が真の継体天皇陵と言われる大阪府今城塚古墳のものに類似している

・副葬品が豪華すぎる

と、いった点から、継体天皇と稚子媛(わかこひめ=三尾角折君の妹。古事記では若比売)との皇子(大郎皇子)説もある。

 

胞衣えな

高島市安曇川町あどがわちょう三尾里みおざと

北西望                       西望

6世紀頃の径11.5m・高2.4mの円墳。継体天皇誕生の折、母の振姫ふりひめがお産の後「へその緒」または胎盤(胞衣)を埋めたという伝承がある。

北望

案内

北東望