OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

小谷古墳

2023年2月21日(火)訪問。奈良県橿原市白橿町4丁目12 。住宅街の西端脇の斜面上にある。

 

住宅街西端にある道標       小谷古墳へ

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貝吹山から北東に延びる尾根先端に築かれた、前方後円墳を含む8基の貝吹山古墳群の東端部に位置。尾根南斜面を掘り込んで築かれており、古墳時代終末期=7世紀の特徴を示し、墳丘背面が幅20m・径50mにわたって半円状に掘り込まれている。封土の大半を失い墳形は不明だが、円墳か方墳と考えられている。墳丘規模は30m前後で高さ約8m、墳丘平面の大きさに比べ背が高い。

石室脇の案内

橿原市/小谷古墳

 

埋葬施設は、巨大な花崗岩の切石を2段に積み上げた両袖式の横穴式石室。天井石は一枚で石舞台古墳天井石よりも巨大。石積み間には漆喰が使用されている。全長約11.6m、羨道部長さ約6.45m・幅1.9m・高さ約1.8m、玄室長さ約5m・幅約2.8m・高さ約2.7m。玄室床面は羨道より一段高くなっており、奈良県高市郡明日香村の岩屋山古墳や、奈良県天理市の峯塚古墳と共通する。玄室には播磨地方竜山石製(凝灰岩)の刳抜式家形石棺が安置されていた。盗掘により蓋が開いた状態だったが、棺身は長さ2.4m・幅1.16m・高さ0.82mで、棺蓋は縄掛突起がなく緩やかな傾斜の蒲鉾形を呈し、家形石棺の中でも新しい型式のもの。副葬品は不明だが、石室や石棺の型式・規模から終末期古墳と考えられる。被葬者は、天皇家を含めた有力氏族であったとの見方が有力で、江戸時代には斉明天皇陵に比定されていたこともあるとのこと。

なお、現在は鉄柵で周囲を囲まれています。