兵庫県神戸市西区天王山(天王山北公園内)。明石川支流の伊川中流域右岸の丘陵上に造られた古墳群。円墳3基・帆立貝形古墳1基・方墳3基の計7基で構成されていた。なお南東400m程に白水瓢塚(夫婦塚)古墳がある。2026年3月17日(火)訪問。
明石駅から徒歩行程約5㎞。明石城内を通り、県道16号線経由で山陽新幹線を越え、住宅街を抜ける。
徒歩行程概略 周辺詳細行程(左中央の青点〇は白水瓢塚古墳)


*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。
現在、1号墳・1-2号墳・2号墳・3号墳が未調査のまま天王山北公園に保存されている。5号墳は、調査後に天王山東公園(西区北別府きたべふ5丁目)に移築保存されている。
天王山北公園方面 北望 位置関係図


*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。
天王山北公園 進入口東望(階段上が保存区域) 見返り


保存区域北端(1号墳) 西望 赤〇の案内


1号墳および1-2号墳=径10mの円墳。2号墳=径14.5mの円墳。3号墳=帆立貝形古墳、円丘部径20m、南西側に長さ5mの造出が付く。いずれも6世紀代もので、未調査のまま保存されている。円筒埴輪等が出土したらしい。
南西望 赤枠=1号墳 青枠=1-2号墳 緑枠=2号墳


緑枠=2号墳 ピンク枠=3号墳


3号墳南西望 北東望 見返り


3号墳から北北東望

1972~1986年(S47~61年)に4・5・6号墳の発掘調査が実施され、4・5号墳は当地の首長墓と考えられるらしい。
4号墳=発掘調査後消滅している。東西16m・南北19mの方墳。3世紀前半築造で明石川流域では最古級の古墳、2基の割竹形木棺を検出。1号棺からは鉄刀2・鉄斧2・鉇かんな1・管玉2・ガラス小玉5、2号棺からは八禽はちきん鏡1・鉇2・鉄斧1・管玉5・ガラス小玉15が出土。また周辺から手焙形てあぶりがた土器も出土したとのこと。
5号墳は、前述の通り、調査後に南東50m程の天王山東公園(西区北別府きたべふ5丁目)に移築保存されている。
白矢印が天王山東公園方面 東望 天王山東公園



北北東望 見下ろし


北東望


東望


3世紀中頃~後葉の築造で、東西に並ぶ5mを超える割竹形木棺3基とその傍に凝灰岩質砂岩製の組合せ式箱式石棺1基を検出。両端の棺から鉄製品1・ガラス玉6とガラス小玉3、中央の棺から鉄剣1・玉1・土師器片が出土したらしい。
ベンチの位置は4基の埋葬施設の配置と同じとのこと。
南西望 南東望(左端が箱式石棺位置)


箱式石棺等は神戸市埋蔵文化財センター(神戸市西区糀台)に保存されているらしい。
6号墳は6世紀代の辺8mの方墳だったらしいが調査後消滅しているとのこと。
白水しらみず瓢塚ひさごづか(夫婦塚)古墳
神戸市西区伊川谷いかわだに町潤和じゅんな。
簡単には墳丘に辿り着けそうになかったので、情報のみ掲載します。
遠景北西望 望遠西望 左写真の反対側 北東望



*後で分かったが上記右端写真(障碍者支援施設)横の石垣沿いに40~50m程北西に上がれば、墳丘が確認できたかもしれない。
伊川右岸の薬師山頂に築造された4世紀初頭頃の前方後円墳。墳長56m、後円部径29m、西方向に向く前方部は長約29m・幅約16mの柄鏡形。各2段築成。墳丘表面では円筒埴輪列(楕円筒・朝顔形埴輪含む)が検出された。葺石・周濠は認められない。埋葬施設は2基。第1主体は後円部中央の粘土槨(コウヤマキ製の割竹形木棺。画文帯神獣鏡1・車輪石4・翡翠製勾玉5・琥珀製勾玉1・石製管玉58・ガラス小玉多数が出土)。多数の副葬品の内容から被葬者は女性と推定される。第2主体は前方部の木棺(副葬品は検出されていない)。その他墳丘周囲から周辺埋葬の円筒埴輪棺5基を検出したらしい。
明石地域で最初に築造された前方後円墳で、五色塚古墳(神戸市垂水区)に先行する首長墓で、墳形・円筒埴輪はメスリ山古墳(奈良県桜井市)と類似。女性首長がヤマト王権といかに関係を持ち統治したのか注目されるとのこと。