OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

久米田古墳群

大阪府岸和田市池尻町。久米田池のすぐ西側、久米田寺を囲むような8基=光明塚古墳、貝吹山古墳(前方後円形)志阿弥法師塚古墳、(長坂古墳)、無名塚古墳、(持ノ木古墳)、風吹山古墳(帆立貝形)・女郎塚古墳=で構成されている。既に消滅したのもあり、もう数基あったらしい。4世紀後半~5世紀半ばまで築造が継続されたと考えられる。2020年3月20日(金)訪問。

 

 

光明塚古墳

久米田寺伽藍のすぐ北側。径20m〜30m円墳。同地に光明塚南古墳の情報もあるが、前方後円墳の可能性もあるらしい。寺の案内には「光明皇后塚」とある。

北望

*画像は・(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

貝吹山古墳

光明塚古墳から道を挟んだ西側。古墳群北側グループの盟主墳。

光明塚古墳から西望        進入口西望            遠景西望

4世紀中頃築造。前方部を北西に向ける全長130mの前方後円墳。後円部径75m、3段築成。

山田池の脇道から墳丘へ               後円部西望

周囲に周濠があり、その痕跡が現在周囲を囲む山田池・ネンド池・ドジョウ池とされる。

墳丘東側の山田池         墳丘南東側のネンド池        墳丘南西側のドジョウ池

葺石、埴輪列が確認されている。後円部には竪穴式石槨があり、香川県産火山石製石棺が納められていたらしい(中世に盗掘で破壊され破片が出土)。出土遺物は銅鏡2以上、碧玉製鍬形石1以上、車輪石3以上、碧玉製管玉約40、鉄刀剣、銅鏃13、鉄鏃・銅鏃、鉄製冑小札、鉄斧片等。

後円部北西望                    墳頂から久米田寺方面東望

前方部には粘土槨があり、礫床上に木棺が納められていた。出土遺物は碧玉製管玉・鉄片・土器片等。橘諸兄塚との伝承もあるらしい。

後円部から前方部北西望               前方部から後円部南東望

志阿弥しあみ法師塚古墳

貝吹山古墳西端から100m程西側の墓地南端辺り、墓地と民家に囲まれている。

貝吹山古墳西端から西へ               墓地南端から西に入る。    

径16mの円墳らしいが墳丘はかなり変形している。腕輪形石製品の出土が伝えられている。「志阿弥法師」は奈良時代の僧とのこと。

南西望                       裏側北東望

(長坂古墳)

志阿弥法師塚古墳の南西100m程にあったらしいが、現在は住宅地。S40年後半の調査では墳丘跡が残存しており、径10m前後の円墳だったと推定されているが詳細不詳。

無名塚古

貝吹山古墳から南西方向に、広い空地を100m程。

無名塚方面                              南西望

5世紀初頭、径約26mの円墳。幅10m・深さ1.2mの周濠があったらしい。葺石は確認されていない。2段築成で、中段テラスには円筒埴輪が並べられていた。風吹山古墳のものとほぼ同時期と推定され、公園整備時に復元されたとのこと。

全景西望

北面南望                      西面東望

(持ノ木古墳)

無名塚古墳の南東側に接するように持ノ木古墳があったが埋め戻されている。昭和初期の記録に無名塚周辺に小さな古墳が存在した記述があり、H4年(1992)発掘調査によって発見された。辺約12mの方墳で、墳丘基底部と幅1.5~2mの周濠が見つかり、周濠から多くの埴輪片と須恵器が出土。須恵器は、朝鮮半島の南部地方出土のものとの類似点があるとのこと。

無名塚墳頂から東望見下ろし             南望見下ろし

貝吹山古墳(帆立貝形)

無名塚古墳の南西側。4世紀末~5世紀初頭、全長約71mの帆立貝形古墳。古墳群南側グループの中心。

前方部南西望                    全景西望

後円部径59mで、東南東側に方形の前方部(造出部)が付く。馬蹄形の周濠が囲み、葺石も確認されている。墳丘には円筒埴輪が並んでいたらしい。

西北西望

墳頂部に2基の埋葬施設があった(埋め戻されている)。南側が粘土槨に割竹形木棺で、冑や鉄製の鎧、鉄剣・鉄刀。北側が組合式箱形直葬で、銅鏡(痕跡)、鉄剣・鉄刀、多くの玉類や竪櫛などが出土。南槨が先に造られ、北槨が追葬された。最初は小型の造出部の付いた円墳として築かれたが、後に大型の前方部をもつ帆立貝形に改築されたと見られている。墳墓の築造期間中に被葬者の地位が上昇したのかも?と考えられている。

後円部墳頂西望                   前方部見下ろし

女郎塚古墳

久米田中学校の西隅にある。5世紀前半、径28mの円墳。周濠もあったようで、発掘調査で墳丘上に円筒埴輪列が確認されたとのこと。

南望                        南西望

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古墳群一帯は「久米田公園」として整備され、南側の入口に古墳群の案内があった。

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久米田寺

行基が開削指導した溜池=久米田池を維持管理するため天平10年(738)行基によって創建されたと伝えられる。現在の寺域も結構広いが、当時はもっと大規模であったと推測される。

駐車場              大門                境内案内

聖天堂と多宝塔          金堂                大師堂          

行基堂              観音堂               明王院