吉田王塚古墳

兵庫県神戸市西区王塚台(王塚公園内)。5世紀初頭~前半頃の前方後円墳。宮内庁により「玉津陵墓参考地」(被葬候補者は「第31代用明天皇の題3皇子=当麻たいま皇子」妃の舎人姫王*)として治定されている。周囲は公園として整備されている。2026年3月17日(火)訪問。 

*『日本書紀』では、推古天皇11年(603)に当麻皇子の新羅出兵に付き従ったが、その途中、播磨の赤石(= 明石)で薨じ、赤石の「檜笠岡の上」に葬られたとある。古墳築造時期からは150年~200年後の話。

   

王塚公園 北側進入口 南望             後円部北端 南望

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*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

前方部を南方向に向け、墳丘長69m(推定復原値74m)、後円部径38m(同44m)、前方部幅34m(同42m)。いずれも3段築成と推定される。明石地域では五色塚古墳(神戸市垂水区)に次ぐ規模。葺石(主に明石川からの河原石)や円筒埴輪・形象埴輪(家形・盾形・蓋形・壺形埴輪)が検出されたとのこと。墳丘周囲には周濠が巡る。

後円部 南東望          南望                西側周濠 南望

前方部西面 南東望        前方部南端 東望          西面 北望

埋葬施設は不詳。明石川流域では白水しらみず瓢塚ひさごつか古墳に続く首長墓に位置づけられ、旧明石郡域で見ると五色塚古墳に続く首長墓に位置づけられる。なお南東1.3㎞に古墳時代前期~中期の集落遺跡=吉田南遺跡があり、被葬者の居館の存在可能性が指摘されているとのこと。

前方部 正面 北望        拝所                制札

 

周辺には陪塚(ばいちょう=陪塚)として3基が存在したと伝えられ、うち2基が現存し王塚古墳同様に宮内庁の管理下にある。

幣塚ぬさづか古墳=「玉津陵墓参考地 飛地い号」 

   

王塚古墳の北側250m程、神戸市西区王塚台4丁目(幣塚公園内)。径約10mの円墳状だが詳細は不明。

幣塚公園 北北東望        幣塚古墳 北望           東望  

         

「玉津陵墓参考地 飛地ろ号」

   

王塚古墳の東側250m程、神戸市西区曙町。辺約15mの方墳状らしいが詳細は不明。

西側にある県営玉津住宅1号棟南脇から周辺区域全体が見られるが、陵墓参考地らしき区画は樹木に覆われて確認できない。区画のフェンス扉は施錠されておらず、中に入れるかと期待したが、フェンスが変形していて開かなかった。

1号棟南脇から東望        扉が変形し開かない。         北東望

東側は何かの工事中で進入禁止。仮に進入できても保存区域に上がるのは無理だし、どの方角からも陵墓参考地らしき区画は確認できなかった。

東側から南西望          南東側から北西望見上げ       南側から北東望

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「玉津陵墓参考地 飛地ろ号」の南側300m程、神戸市西区枝吉4丁目の吉田郷土館敷地内に石棺が保存されている。「玉津町吉田付近(郷土館の南東約1㎞)出土」とされている。

郷土館 南西望          玄関前から南望            石棺南望

この西側には15世紀中頃、明石氏が築城した枝吉城跡がある。