OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

カンジョ古墳

2018年11月23日(金)カンジョ古墳周辺を散策。

カンジョ古墳

高市郡高取町与楽ようらく。飛鳥病院のすぐ東、東西に走る道路()の北側にあるので、すぐ分かる。与楽古墳群の一つ。地名を冠して与楽カンジョ古墳、乾城古墳とも言う。

f:id:OSAKA-TOM:20220127095448j:plain

                              Yahoo!地図を編集加工しています。

 

カンジョ古墳前の道路を東に1km程行くと鑵子塚古墳・牽牛子塚古墳等がある。

牽牛子塚古墳・真弓鑵子塚古墳 - OSAKA-TOM’s diary

 

墳丘の北側と西側が掘削され、原形・規模が不明だったが、一辺約36mの方墳と判明している。埋葬施設として、両袖式の横穴式石室をもち、石室天井の高さ5.27mと極めて高い。当初、玄室床面に土砂が流入していたため、正確な天井高は不明だったが、平成20年の再調査により高さが判明した。石室の高さは、石舞台古墳(高さ4.8m)を上回り、奈良県内最高近いと見られる(烏土塚古墳でも高さ4.3m)。また石室の長さ6m・幅3.7mと判明。更にこの調査で、石室床面から、渡来人系の古墳で多く見られるミニチュア炊飯具の一部や銀製指輪、玄室中央部から棺台の一部と推定される高さ15cmの盛り上がりや木棺に使用される鉄釘が出土した。石室や出土品の特徴から6世紀末~7世紀前半頃の築造と推定され、渡来系の有力氏族(東漢氏等)の首長墓と見られている。さらに7世紀末~8世紀初めの土器片が出土し、築造から100年が経過してなお追葬が行われた可能性が指摘されている。鉄扉越しに石室内を観察できる。

全景           石室へ                       玄室

f:id:OSAKA-TOM:20220126132546j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220126132551j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220126132559j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220126132611j:plain

*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

玄室西側壁        東側壁          天井部          棺台の一部

f:id:OSAKA-TOM:20220126132820j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220126132832j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220126132840j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220126132851j:plain

与楽鑵子塚古墳

カンジョ古墳西脇の道を200m程北側に行くと(黄色矢印)分岐があり、この分岐の北側(内側)にある。ここから北東に行くと(小さな白色矢印)寺崎白壁塚古墳がある。

カンジョ古墳西脇      北進

f:id:OSAKA-TOM:20220126133246j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220126133257j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220126133304j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220126133323j:plain

貝吹山の南西丘陵に位置、6世紀後半早期、墳丘径24m・高さ7mの円墳で、与楽古墳群の一つ。南に開口した片袖式の横穴式石室が確認されており、羨道長さ2m以上・幅1.4m・高さ1m以上、玄室長さ4.15m・ 幅3.15m・高さ4.5m以上。発掘調査が行われていないため、出土品等は確認されていない。極めて高い玄室を有する特徴が指摘されており、カンジョ古墳と同じく、極めて強力な権力を持った氏族の墳墓であると考えられている。 

2015年当時の写真では墳丘に樹木は無く、墳頂に登れたようだが・・・・・。

北望               北西望              案内

f:id:OSAKA-TOM:20220126133724j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220126133734j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220126133742j:plain

ここから北東の竹藪を抜けると、寺崎白壁塚古墳がある。