OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

忍阪古墳群

忍阪古墳群

JR万葉まほろば線 巻向駅・三輪駅等周辺 2020.3.9(月)

巻野内石塚古墳→ホケノ山古墳→慶運寺裏古墳→(檜原神社)→茅原大墓古墳→狐塚古墳→(大神神社)

→忍阪おっさか古墳群

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               YAHOO!地図を編集加工しています。

大神神社参道から約2.7km、旧集落内の素戔嗚神社→三輪小学校(三輪遺跡)→県道199号を通り、近鉄大阪線大和朝倉駅へ向かう。

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大和朝倉駅を北から南へ通り抜けると、ロータリー右手に、忍阪古墳群のある2号公園=古墳公園への道がある。

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住宅街の外周道を南西に向かい、約120mで右折すると、公園北上斜面に4基の石室が移設されている。進入路手前(西)から9→8→2→1号墳。各々フェンスが張られているが、施錠はされていない。

桜井市朝倉台(元桜井市忍阪)。外鎌山の西にのびる尾根上と南斜面に位置し、団地造成に伴う調査では10基を数えたらしい。調査後1・2・8・9号墳は団地内の古墳公園に移設されたが、その他は消滅。

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1号墳 径7mの円墳で、発掘時点で既に天井石や羨道部はなくなっていたが、(奥から見た)右片袖?の側壁と奥壁が移設されている。築造は6C中頃とされる。大きさは私の身長172cmから類推ください。

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2号墳 径13mの円墳で、同じく天井石や羨道は残っておらず、側壁と奥壁の一部が移設されている。西側壁は持送りが結構きついが、東壁はほぼ垂直??6世紀末~7世紀初頭とのこと。

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8号墳 南斜面に築かれた径約12mの円墳(多角形墳の可能性も)。周囲に幅約3mの濠を巡らせていたらしい。埋葬施設は加工した榛原石はいばらいしで築かれた磚槨せんかく式石室(レンガ状に割れる室生安山岩=榛原石を積んだ石室)。石室の南半分や上部は既に失われていたが、日本で初めて見つかった6角形の特異な石室で、一番注目を集めた。南西部には羨道部があったと推定されている。出土遺物は石室内から、歯1個と銅製釘4点、ガラス玉約100点、須恵器杯蓋片1点、周濠より土師器甕1点が発見された。

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6角形の痕跡。右端の写真は発掘当時の様子。

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9号墳 墳丘の南半分が破壊されていたが、墳丘の規模、外形や周囲の濠は8号墳とほぼ同じと推定される。埋葬施設も8号墳同様磚槨式石室だが、長方形の石室でT字形の横穴式石室らしい。8・9号墳ともに、7C後半~末葉と推定される。なお、8・9号墳は周囲の土ごと移築されており、重要な古墳であったことがうかがえる。 春先で草深くなく、見やすかった。

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なお、遺跡地図では、忍阪古墳群移設場所の東側に、外鎌山北麓古墳群が見られるが、こんもりした小山しか確認できなかった。(緑の丸が忍阪古墳群)

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奈良県遺跡地図Webを編集加工。http://www.pref.nara.jp/16771.htm

JR巻向駅9:30→巻野内石塚古墳→ホケノ山古墳→慶運寺裏古墳→(檜原神社)→茅原大墓古墳→狐塚古墳→(大神神社)→忍阪古墳群→近鉄大和朝倉駅13:45 全行程11km程。

天気も良く、春の陽気で、気持ちのいい散策だった。