平野・大県古墳群は、大阪府柏原市大字大県おおがた、平尾山古墳群の8支群(安堂、高井田、平尾山、雁多尾畑、本堂、太平寺、平野・大県、青谷古墳群)の一つ。1992年(H4)に調査され、平野・大県古墳群の第34支群では46基が新たに発見された。
2025年2月15日(土)と2025年2月26日(水)訪問。なので記事中の写真は両日分混在します。
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1992年(H4年)の平野・大県古墳群(支群)調査結果は以下の報告書に詳述されている。
1993年12月柏原市教育委員会『平野・大県古墳群分布調査概報(柏原市文化財概報 1993-Ⅳ)』
(以下『調査既報』と略記)
『調査既報』によると
ーーーーー第34支群は、東側の枝尾根全体に分布。石室の石を抜き取った痕跡の古墳も存在したが良好な保存状況で完存している古墳も多くある。古墳は、丘陵尾根の稜線上と南側斜面、その稜線の東側へ伸びた短い小枝尾根上で谷筋に近い山腹部にもある。密集して連なり隣接した墳丘の一部が重複している所もある。古墳規模の大小や石室形態の片袖、両袖、無袖、小石室、横口式石榔等多彩な形態があり、大半が円墳であるが方墳と考えられるものも5基ある。果樹園等耕作があまり行われなかったのでよく遺存したのであろうか。尾根の幅が広い部分は、2基並列し、狭い部分は精一杯まで尾根を使用して古墳を築造している。-----とある。
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関西電力の信貴変電所の手前(南側)200m程に進入口がある。進入口は2ヶ所ある。
*変電所入口脇には地域住民向けに駐車場が開放されている。
矢印が進入口。赤〇が34支群。

変電所脇の駐車場 東望 進入口 南西望


*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。
*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。
黄矢印の進入口 南西望 見返り 34支群へ南進



白矢印の進入口 南望 *不法投棄物が散在するが、こっちの方が楽です。



どっちの進入口から入っても同じ登り口に至る。ここから34支群の尾根筋に登る。
進入口見返り(北望) 登り口見返り(北望)


古墳の位置は『調査既報』の図版にあり、34支群は「図版九=三十区分布図」に示されている。
図版9=30区分布図を編集・加工 ↑ この少し先が変電所。

*等高線は2m間隔。0〜100〜200mの縮尺で墳丘間の距離が大体分かる。
登り口直ぐの尾根最高所から、南東方面に下る尾根筋に並んでいるので、ほぼ号数順に巡れる。総じて竹林です。なお、各古墳の詳細数値等は『調査既報』16〜17ページの一覧表(以下「一覧表」と略記)から転載していますが、1992年調査時の数値なのでお含み置き下さい。また石室は基本的に南に開口しています。
1号墳 『調査既報』一覧表には径6.5m・高0.42m、小礫散乱とあるが・・・・?。低いマウンドのみでよく分からない。位置的にはこの辺りだが・・・。
遠景南望=矢印は進行方向を示しています。 1号墳辺り


2号墳 径5.9m・高0.59m。ここも低いマウンドのみでよく分からない。位置的にはこの辺り。巻末の45・46号墳はここから東に伸びる小枝尾根にある。
遠景南望 南東望


3号墳 径5.8m・高0.51m。尾根最高所の南端。ここも曖昧なのでよく分からない。

4号墳 径12.7m・高1.84m 『調査既報』一覧表備考欄には「墳丘完存」とあるが・・・。
南西望 南望


5号墳 径5.9m・高1.67m、墳丘は不明瞭。斜面の途中に無袖式の小型横穴式石室が南方向に開口。
遠景西望 近景北望


足は大きさ比較 内部は埋まっている。


5号墳から東南東〜南東に下って行く。ほぼ南下方に墳丘っぽい所が見え、下り易そうだが、こちらは35支群。私も最初間違いました。
5号墳俯瞰(黄〇が小石室) *写真左斜め上が南東


*コンパス持参をお勧めします。日照方向や勘はあてになりません。
6号墳 5号墳のほぼ東側。径8m・高1.61m。『調査既報』一覧表備考欄には「完存」としか記載がないが、無袖式の横穴式石室が僅かに開口。
遠景東望 近景北望


やや扁平な感じの石室が完存する、


7号墳 径8.3m・高1.87m。明確な特徴が無く全く分からなかった。8号墳から北方面を撮影した写真を見ると、左上(北西)にそれっぽいのが黄〇辺りに見えるが・・・・?

8号墳 径11.3m・高3.1m。墳丘は明瞭。南方向に開口する横口式石槨石室が完存。34支群中では最も判別しやすい石室。


『調査既報』一覧表に詳細数値の記載はないが、羨道長4m・幅1.4m・高1.4m程、石槨長2m程・幅0.9m・高0.9m程。丁寧に仕上げられた切石で構成されている。





石槨前の両袖部には閉塞扉をはめるため?の溝がある。羨道の奧隅には漆喰跡も遺存。
向って左の袖石 右の袖石 向かって右隅の漆喰跡




羨道天井は明らかに花崗岩っぽい



9号墳 径9.5m・高3.15m。明確な特徴が無くよく分からなかった。8号墳から西方面にあるはずなので、多分・・・・?。石材が見える。
8号墳から遠景 西北西望 近景 北西望


10号墳 8号墳の南西下斜面、径8.4m・高3.32m。天井石露出。
北東望

11号墳 径10.9m・高2.71m。天井石露出。
北西望 隙間内部は埋まっている。


12号墳 径7.4m・高2.39m。『調査既報』一覧表に「小礫散在」とあるがよく分からない。8号墳との位置関係からするとこの辺りだが・・・・?
北望 斜面下から北西望見上げ


13号墳 径7m・高0.97m。『調査既報』一覧表備考欄に「完存」とのみ記載あり。8号墳の10m程南東にあるはずだがよく分からない。高さが1m弱なので、低いマウンド状態なのだろう。
14号墳 8号墳から20m程南東。径10.6m・高1.43m。『調査既報』一覧表備考欄に「石室抜取跡」と記載あり。
遠景 南東望 石室抜取跡


15号墳 『調査既報』分布図には位置表示はあるが、一覧表には墳丘径等の数値が全く記載されていない。14号墳の南東=16号墳の北西にあるはずなのだが・・・・・・・。以下の写真はどれにも分類されなかったもので、撮影時間が14号墳と16号墳の間なので、一応15号墳として掲載しますが、全く自信がありません。


16号墳 径12.7m・高4.17m。一覧表備考欄には「天井石が露出する」とあるが殆ど落ち葉に埋まっている。
墳丘南望 北面の石材東望


16号墳のすぐ南側に17号墳が見える。
南西望=写真右手前が16号墳 左奥が17号墳

17号墳 径14.1m・高4.75m。南方向に開口する無袖式の玄室長5.3m・幅1.63m・高1.36m。墳丘も明瞭で、石室も34支群の中では最大級。


壁面石材が割と丁寧に加工されている。


奥側の天井石が一段低い。




18号墳 径12.1m・高3.79m。墳丘は明瞭。南方向に開口し、羨道天井部が陥没。手前に石材が散乱。
北望 東望俯瞰


羨道幅1m〜1.2m。
北東望 北西望


玄門付近の隙間から自撮り棒で撮影。玄室は表面が比較的丁寧に仕上げられている。


19号墳 径14.4m・高4.24m。明瞭な墳丘。


羨道長3.7m・幅1.4m・高1.29m。南に開口する右片袖式玄室長3.62m・幅1.72m・高2.29m。開口部が狭く入室しなかったが、かなり縦長の玄室の様だ。全体に小型〜中型石材を積み上げている。



20号墳 径7.1m・高2.58m。なだらかな墳丘。


羨道長2.1m・幅1.03m・高1.28m、南に開口する右片袖(または無袖)式玄室長2.68m・幅1.24m・高1.24m。南西向きに下る斜面に築造されたためか、羨道側壁が、北東(向かって右上)からの土圧で左斜めに傾き出している。


21号墳 径9.5m・高2.64m。墳丘に石材が2個ある以外に特徴は無いが、西に20号墳、北西に17号墳、北に18号墳、北東に19号墳、南東に22号墳と扇の要的な位置にある。
(20号墳から)東望 北望


22号墳 径10.7m・高4.38m。
東望 南東望


南面に開口部がある。羨道天井石が傾いている。


羨道天井石が傾いているが、中は傾いていない。羨道長3.11m・幅1.25m・高1.2m。



玄室長2.93m・幅1.83m・高1.75m。




明確な両袖式 羨道部天井の傾きは裏込め土の流失か?


23号墳 径7.5m・高3.43m。
南西望

24号墳〜28号墳は22号墳辺りから東に30m程下った、尾根の東斜面に北→南に並ぶ。
ただ笹藪がひどくパスした。以下『調査既報』の情報のみ掲載します。
22号墳から24号墳方面 東南東望

24号墳 径7.4m・高1.46m。小石室、天井石露出。
25号墳 径11m・高2.18m。石室露出。
26号墳 径11.3m・高2.22m。羨道天井石崩落。
27号墳 径10.9m・高3.14m。西壁露出。
28号墳 径8.2m・高1.79m。石室露出。
29号墳から44号墳は本来の尾根筋に並ぶが、尾根筋の方向が南西に変わる。
29号墳 径13.2m・高2.39m。石室が南向きに開口する。


羨道長3.4m・幅1.19m・高1.6m。



両袖式の玄室長3.33m・幅1.95m・高2.2m。

玄室天井部 明確な両袖式


30号墳 径10.9m・高2.72m。石室が南向きに開口する。
*『調査既報』分布図では29号墳の南南西に表示されているが、どちらかといえば西方面と思うが・・・?


無袖式で、パッと見では羨道と玄室の区別がつかない。玄室長4.2m・幅1.0m・高1.1m。長さの割に幅が狭く高さも低い細長い石室。



楣まぐさ石から奥が玄室なのだろう。
楣石 奥壁


羨道


31号墳 径15.8m・高3.9m。石室が南向きに開口する。
*『調査既報』分布図では29・30・31号墳が南南西方向に一直線に並んで表示されているが、30号墳が西側に出っ張って、逆▼の様な位置関係と思うが・・・?


羨道長3.83m・幅1.12m・高0.96m。



両袖式の玄室長4m程・幅1.74m・高1.9m。羨道に比べ楣石が大きい。


32号墳 径15m・高4.1m。羨道天井の石が一部抜けている。
北望



羨道長3m程?・幅1.15m・高1.21m。


両袖式玄室長3.22m・幅1.8m・高2m。


*白く光る玉は土埃のフラッシュ反射です。肉眼では殆ど見えませんが入室時はマスク着用をお勧めします。
33号墳 径16m・高3.74m。羨道長3.2m・幅1.1m・高1.21m。
北望


両袖式玄室長3.2m・幅1.78m・高1.88m。


ここも羨道に比べ楣石が大きい。


34号墳 径11.7m・高4.39m。羨道長2.42m・幅1.12m・高1m。
北望



両袖式玄室長3.73m・幅1.68m・高1.62m。


ここも羨道に比べ楣石が大きい。


35号墳 径7.3m・高1.46m。『調査既報』一覧表備考欄には「小石室抜取跡」とある。34号墳の東側だが、よく分からない。
東望

36号墳 方墳?辺14m・高4.67m、37号墳 径9.5m・高3.18mらしいが、笹藪がきつくてパス。
南東望

38号墳 方墳?辺12.8m・高4.28m、39号墳 径6.7m・高2.55mとあり、34号墳の南西方向に並ぶはずだが、よく分からない。
34号墳から南望

40号墳 径13.9m・高3.79m。
墳丘南望 北望


羨道長4.95m・幅1.29m・高1.2m。


両袖式玄室長3.48m・幅2.13m・高2.51m。


41号墳から44号墳は34支群の南端に密集し、40号墳の南側だがよく分からない。
41号墳 径21.1m・高5.88m。石室崩壊。42号墳 方墳?辺6.9m・高1.56m。
40号墳から41号墳・42号墳方面 南望

43号墳・44号墳もよく分からなかった。
43号墳 方墳?径12.8m・高4.45m。羨道長3.8m・幅1.24m・高1.03m、両袖式玄室長3.55m・幅2.02m・高2.3m。
44号墳 方墳?辺8m・高1.54m。小石室完存。
43号墳方面 南西望 44号墳方面南東望


45・46号墳は前記の2号墳から東に伸びる小枝尾根にある。2号墳のすぐ東側は倒れた竹が折り重なっていて直接小枝尾根に降りられないので、少し北側から迂回する(かなり急斜面)。
45号墳 2号墳から20m程東下の尾根斜面に、低いマウンド状の高まりがある。多分これだろう。径9.6m・高2.48m。石材散在。
北望 北西望


46号墳 45号墳から更に20m程東下。径15.9m・高?m。石室は完存しているようだ。
南望 北望


石材の隙間から自撮り棒を挿し込んで撮影。何故か鞄が落ちている。
もっと南側に開口部があったのかも?




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周辺にある大県、大県南遺跡は、古墳時代中期から奈良時代にかけての大規模な鍛冶工房が発見され、鍛冶炉、その覆屋の遺構と鉄滓、フイゴ羽日、砥石、炭等が多量に出土している。これらの集落遺跡群の後背地にあたる平野・大県古墳群は、これらの鉄器生産に従事した工人を統制した指導者又は関連を持つ有力者が埋葬された古墳を合んでいるのだろう。
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*写真は2025年2月。季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意下さい。特に竹は1年で20m程に成長するらしいので、竹林は要注意です。