OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

御嶺山古墳

御嶺山ごりょうやま古墳は、大阪府南河内郡太子町太子にある7世紀末~8世紀初頭=いわゆる終末期の円墳。

 

墳丘封土の多くが流失するが、径約30m・高さ約3mの円墳。主体部は花崗岩の切石計8個(前後上下各1石、左右両壁各2石ずつ)で構成される横口式石槨らしい。奥行2.2m・幅1.4m・高さ1.7m。石槨底面に据えられた凝灰岩製の棺台は、長さ1.97m・幅1.29m・厚さ0.38m。左右側面・前面に各2個、後面に1個の「格挟間こうざま」と呼ばれる仏教的な装飾を施している。かつて漆塗木棺の破片と共に、金銅製の錠金具・琥珀製の棗なつめ玉・ガラス玉等が出土したとのこと。その一部は近つ飛鳥博物館で展示されている。昭和47年大阪府指定史跡。

2020年11月更新の、大阪府太子町の公式HPでは、「注意:現在、見学は困難な状況です」とあった。

御嶺山古墳【府指定史跡】/大阪府太子町

私設ブログでは、「古墳のお部屋ブログ館」さんの1998年3月の記事があったので、参考にさせていただいた。

古墳のお部屋ブログ館 太子町

 

源義家の墓から東へ向かい、下図のルートで行けると計画したが、御領山古墳の南手前(黄矢印)でそれ以上進めなくなった。東から回り込めそうな路(青矢印)も途中から途絶え、結果的に行き着けなかった。

白矢印ルートの分岐ポイントが以下の写真。

 *画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

進入口方面            進入口               先に進めなくなった地点の小屋

東から回り込む路     北側の丘                      行止り地点

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

御領山古墳に行き着けなかったので、源義家の墓に寄ってみた。

源義家は平安時代後期の武将で、「八幡太郎義家」の通称で知られる。源頼朝から4代遡る祖先に当たる。

登り口から、急なつづら折りの階段を上る。

何だか、古墳っぽい。

義家の祖父「頼信」の墓は90m程南にある。義家の墓からは行けず、別ルートからでないと行けないのでパス。

義家の父「頼義」の墓は通法寺跡辺りにあった。なお、頼信→頼義→義家は清和源氏の流れをくむ「河内源氏」の興隆期である。