OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

鶯塚古墳

東大寺東側の若草山(標高342m)山頂に位置する、4世紀末~5世紀初頭(古墳時代中期前半頃)の大型前方後円墳。

 

開山期間は3月第3土曜~12月第2日曜の9時~17時。

入山料等                      ルートマップ

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

南ルート

南(登山)ルートは一重目頂上まで500m。真っすぐな登山道で一度曲がるだけで一重目頂上へ。ただ木陰が殆ど無く、まともに日光を浴びる。

南ゲート          ルート道                       一重目頂上 

北ルート

北ルートは一重目頂上まで560m。山の北側急斜面を登るため、つづら折りの道で、木々の下を行くので殆ど木陰。登り切った所に茶屋がある。

北ゲート          ルート道                       一重目茶屋東望

二重目から三重目(頂上)へ

二重目方面        二重目          三重目方面        三重目

前方部をほぼ南に向ける。墳長103m(107mとも)。外表で全面に砕石による厚い葺石および円筒埴輪列が認められ、形象埴輪(家形・舟形・蓋形)を検出。埋葬施設は不詳だが、前方部西南隅で副葬品と見られる滑石製斧形石製品・小型内行花文鏡等が出土。周辺には陪塚と考えられる小方墳1基・小円墳2基が残るらしいが、よく分からない。1936年国の史跡。

鶯塚遠景北望(手前が小墳?)     前方部南端北望          案内

*案内では「前方部幅30m、後円部径61m、2段築成」とあるが、前方部幅が30mだと後円部径の半分で、超柄鏡型になってしまう。古墳時代中期築造なら一般的にもっと広いはずで、50m説や72m説もある。また後円部3段説もある。令和2年の案内なので、最新のデータを反映しているはずだが・・・? 古墳の墳丘規模は文献により多少ばらつきはあるが、ここまで違うのは珍しい。

 

後円部墳頂に江戸時代享保18年(1733)に建てられた石碑が立つ。

前方部から後円部北望

石碑の正面に「鶯陵」、裏面に「享保十八歳次癸丑九月艮辰東大寺大勧進上人康訓建 延喜式曰平城坂上墓 清少納言謂之鶯陵 并河永誌」とあるらしいが、よく分からない。古墳名は、清少納言の『枕草子』「鶯陵うぐひすのみささぎ」を本古墳に比定する伝承に由来するとの説がある。また墳頂の三等三角点に「三笠山」とある(笠形の山が三重に重なって見えるため三笠山とも呼ばれる)

石碑正面         裏面           前方部方面南望

 

一重目から奈良市街西望               東大寺