OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

益田岩船

2023年2月21日(火)訪問。奈良県橿原市白橿町8丁目20 。

 

2019年7月に一度訪れているが再訪。白橿南小学校の西の丘陵上、標高120mとそこそこ高い所にあるが、登り道等はかなり整備されており、比較的楽に登れる。古墳ではなく石造物なのだが、その大きさには圧倒される。

 

登り口の案内

登り道

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岩船南望

岩船北望

東西約幅11m・南北幅約8m・高さ(北側)約4.7mの台形状の巨大深成岩(案内は花崗岩)で、東西側面はほぼ垂直に立つ。上面には、東西方向に幅1.6mの溝が掘られ、この溝内に1辺1.6m程・深さ1.3mの方形の孔が、1.4mの間隔を開けて二つ刳り抜かれている。岩の重さは約160tから500~600tまで諸説ある。

上面の孔

孔の寸法単位が高麗尺であることや岩の加工法等、古墳時代最末期の特徴が見られるため、7世紀頃の建造と推定されているが、用途には諸説ある。石碑を載せるための台、二つの穴に石柱を建てその上に横柱を渡して占星術の天体観測をする台、物見台説等々。しかし、いずれにせよこれほどの巨岩が必要とは私には思えない。

南東約600mに牽牛子塚古墳があり、その埋葬施設は70~80tと推定される巨岩を刳り抜いた、棺を安置する部屋が2室並列する石槨である。私にはその巨岩が想起される。孔は牽牛子塚古墳に比べかなり小さいが、火葬骨棺を納めるには充分だし・・・。

牽牛子塚古墳・真弓鑵子塚古墳 - OSAKA-TOM’s diary

 

北・東面下半等には深さ10㎝程の格子状の溝が彫られており、表面を平らに加工する作業が途中で止まったものと見られる。さらに西側の孔には水が溜まらずひびが入っているとされ、建造途中で破損が判明し、放棄したと推測される。

岩船北面下の案内

東面の格子状の溝