OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

杉山古墳

2023年2月16日(木)訪問。奈良市大安寺4丁目6。

 

史跡大安寺旧境内で、古墳公開は火・木・土・日曜の9時~17時。

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大安寺古墳群を構成する1基。5世紀(中頃~)後半の築造。前方部を南に向ける全長約154m、後円部径約80mの前方後円墳。葺石・埴輪を備え、円筒埴輪列(朝顔形含む)・形象埴輪(家形・蓋形・甲冑形・盾形・靫形・人物形・動物形)が検出された。周囲には幅約30mの浅い盾形の濠が巡らされ、濠の外堤内斜面にも葺石が認められた。周濠を含めた古墳総長は200m以上になる。墳丘東側の前方部寄りに造出が付く。埋葬施設は不詳だが、後円部中央に竪穴系の埋葬施設があったと思われ、発掘調査時の墳丘封土に粘土の混入が認められたため、粘土槨が存在したとの説がある。

後円部東望                     前方部東望    

後円部北望                     前方部南端

 

前方部南側の斜面では6基の瓦窯跡(大安寺杉山瓦窯跡郡)が見つかっており、奈良時代~平安時代に大安寺へ瓦を供給したとされる。

前方部西側の窯跡保存施設     2号窯跡(復原)

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当古墳の南側には現在の大安寺や、更にその南側には八幡神社(元石清水八幡)や旧大安寺の東西塔跡がある。また西に向かうと奈良市埋蔵文化調査センターがある。

大安寺

奈良市大安寺2丁目。高野山真言宗。本尊十一面観音。開基伝承は舒明天皇。南都七大寺で奈良~平安時代前半は、東大寺や興福寺と並ぶ大寺であった。現在は癌封じ寺として有名。聖徳太子創建の「熊凝精舎くまごりしょうじゃ」が官寺となり、その後移転や改称を繰り返し、平城京に移り大安寺と称した。東大寺・興福寺と並び東西2基の七重塔が立ち(七重塔は南都七大寺では他には東大寺のみ)「南大寺」の別名があったとのこと。

八幡神社(元石清水八幡)

社伝によれば、807年(大同2年)大安寺の鎮守社として建立された。大安寺の僧=行教和尚が遣唐使としての帰途、大分県宇佐神宮の第一祭神=八幡大神(応神天皇)からのお告げで、宇佐神宮から南部大安寺本房第七院石清水房に勧請したとのこと。その後、行教和尚は夢の中で「京都の男山に八幡大神を祀れ」というご神託を受け、859年(貞観元年)京都府八幡市に山城石清水八幡宮(男山八幡宮)を建立する。しかし12世紀初頭になり男山側が「男山の八幡大神は宇佐神宮から直接お招きしたもので、大安寺とは関係ない」と「本社」を名乗って譲らなくなり、大安寺側は元石清水八幡宮と称するようになったとのこと。

旧大安寺の東西塔跡

東塔跡  

西塔跡

奈良市埋蔵文化調査センター

大安寺西2丁目。杉山古墳から西へ850m程。

展示物例

上記展示物は、左から

・7世紀前半の秋篠阿弥陀谷横穴群-1号墳の土師質亀甲形陶棺

・奈良市山町やまちょうのベンショ塚古墳出土の眉庇付冑まびさしつきかぶと・短甲等

  *奈良市山町~田中町の帯解狐塚古墳、ベンショ塚古墳、シズカ塚古墳、帯解黄金塚古墳は以下を

   参照下さい。

  帯解黄金塚古墳 - OSAKA-TOM’s diary

・平城京左京六条三坊十坪出土の8世紀の人面墨書土器