越塚古墳は、JR桜井線・近鉄大阪線桜井駅の南東1.5km程にある鳥見山(とみやま=標高約245m)の、更に南東にある別系統の丘陵に位置する。
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鳥見山を囲むように、北から反時計回りに艸墓くさはか古墳、文殊院西・東古墳、谷首古墳、コロコロ山古墳、メスリ山、兜塚古墳、秋殿南古墳、こうぜ1号墳、舞谷2号墳、エンドウ山古墳群・梶山古墳群*1、赤坂天王山古墳*2、越塚古墳、舒明天皇陵*3、桜井茶臼山古墳。JR桜井線・近鉄大阪線桜井駅から順にグルっと巡る行程は約17km。難所のエンドウ山古墳と、遠回りの梶山古墳群を除けば14km程で、2018年4月9日(月)に歩いて巡った。
*1 エンドウ山古墳群・梶山古墳群
桜井市 倉橋ため池周辺古墳群 - OSAKA-TOM’s diary
*2 赤坂天王山古墳
*3 舒明天皇陵
桜井市粟原おおばら。6世紀末(~7世紀初頭)の円墳。赤坂天王山古墳からは水平距離で1km程だが、かなりの上り坂でキツかったし、帰りは膝がガクガクになった。
下の右図、赤矢印は舗装道路、青点線矢印は山道。私は舗装道路からアクセス。
往路見返り 右上地図の✖部分 越塚古墳登り口
径約43m・高さ6~7mで2段築成。全長15.4mの南南西に開口する両袖式の横穴式石室で、羨道は長さ10.7m・幅と高さ1.8mで2段または3段積み、天井は4石。
開口部 羨道
玄室内には、(奈良県)二上山の凝灰岩製の組合式家形石棺の底石がある。底石は2石が遺存するが、手前側にもう1石あったと見られ、推定復元長3m(幅1.25m)程度とされる。奥壁側に石棺側壁の一部らしき石材が立つ。床面には比較的丸っこい礫が敷かれている。
羨道東側壁 玄門部 石棺の底石
玄室は長さ5.3m・幅2.75m・高さ3.85m。玄室石材は花崗岩の自然石に近く、奥壁・側壁とも基本的に3段積み、側壁は若干前傾するがほぼ垂直。天井は4石。
奥壁 西側壁 東側壁 天井 (下が奥側)
両袖部 楣石 羨道
玄室石材の積み方等から、赤坂天王山古墳との類似性も見られ、同時期かやや新しい6世紀末葉頃の築造と考えられるらしい。更に奈良県生駒郡平群町の烏土塚古墳(6世紀中葉頃)とほぼ同一設計とされる。
粟原谷を見下ろす丘陵中腹部に位置しており、一説には粟原寺*4造営に関連した人々につながる豪族の墓とされるが・・・時期と位置が・・・?。
*4 粟原寺
越塚古墳から東方向に直線距離で1km弱の小さな盆地南端辺り。166号線沿いの栗原公民館から南へ直線距離で550m。(談山神社所蔵の)『粟原寺三重塔伏鉢』(国宝)銘文に寺の縁起が記されている。持統天皇8年(694)に起工し金堂と丈六の釈迦像が造られ、22年後の和銅8年(715)に三重塔が造られたとされている。
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