岩坂式シ山古墳
2021.11.26(金)岩坂式シ山いわさかしきしやま古墳は桜井市大字岩坂(上)集落付近にある。
165号線「出雲」交差点から右の脇道(一方通行)に入り、すぐを右折し、南に上っていく。近鉄大阪線、老人ホームを越え、岩坂(下)への分岐を過ぎ更に上ると、狛と岩坂(上)への分岐がある。岩坂(上)=右方面が、岩坂式シ山古墳や十二神社=雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地へ通じる道。
岩坂(下)への分岐 青い●は15A-155
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岩坂式シ山古墳
狛と岩坂(上)への分岐付近に車を停め、すぐ近くの急勾配の農道を、徒歩で南東に上って行く。急勾配の農道を道なりに行くと、(下の15A-155写真の廃棄されたバスタブの所からすぐ)車が置けるほどのスペースがあり、そこを左折し暫く行くと林道の進入路がある。林道を道なりに上って行くと、途中の尾根の中腹辺りにある。
*なお、急勾配の農道西側の段々畑の高い所に、径8m程の円墳(遺跡地図番号15A-155)があり、石材が露出するとのことだが、遠くからではよく確認できなかった。畦道をたどれば近場まで行き着くのだろうが、朝6時からアチコチ回り、体力限界に近くパス。
分岐 農道 多分15A-155 林道進入路
*写真は2021年11月26日。季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意ください。
林道を道なりに上って行く 目印の木 (左手に石材が見えれば正解)
*こうしてみると簡単に行けるようだが、実際は大変だった。下調べの際、桜井市観光協会公式ホームページには『十二神社を目標に歩き更に奥に進むと分岐点があるので西側に進み粟原に向かう林道の途中の尾根の先端あたりにこの古墳があります。・・・・・尾根に入る道筋が分かりにくいので探すのはかなり難しいように思います』としか書いておらず、ネット地図と遺跡地図でなんとか上記の農道を行くはずだと考えた。しかし、最初農道脇の廃棄バスタブの所から真っすぐ行ってしまい、道が右上に急カーブして尾根から離れて行きそうだったので、カーブ先端から笹薮に分け入った。なんとなく隙間っぽい所をかき分けて行くと、上記の林道に偶然出た。そして同じく上記の石材を見に行ったところで振り返ると、またまた偶然に開口部らしきものが見え、やっとたどり着いた始末。上記の道順は、石室入室後、後付けで見つけたルートです。結果約1時間かかりました。
6世紀後半~7世紀初めの径10~15m・高さ約2mの円墳。南東に開口する両袖式横穴式石室で、現存の羨道長約2m・幅約1.1m・現状高さ約80~90cm、玄室長約4.1m・幅約1.7m・現状高さ約1.8m。羨道部入口は幅50cm・高さ60cm程とかなり狭いが、匍匐前進で入室できる。玄門部上の天井に一部隙間が開いている。側石は持ち送りが結構キツく、比較的大きな石材も使われている。
開口部遠景 近景 羨道 玄門部 玄室全景
天井部 両袖部 楣石 天井部の隙間 脱出風景
十二神社
先程の岩坂(上)への分岐から道なりにアスファルト道を上れば550m程の所に有り、車でも簡単に行ける。
*私は岩坂式シ山古墳を見た後、急勾配の農道の南端地点に戻り、そこから神社へ向けショートカットしようと思い、狭い獣道を西へ登って行った。結果的には神社にたどり着いたが、かなりキツいので、お勧めはしません。多分岩坂式シ山古墳脇の林道を更に南に上り切ると、十二神社に通じる車道に出れたのだろう・・。
岩坂(上)集落の奥、標高280m程の所にある。第21代雄略天皇の「泊瀬朝倉宮」伝承地の一つである。宮というからには、官人が通わねばならず、どう考えても、ここはちょっと不便と思うが・・・。他には165号線沿いの桜井市黒崎白山神社(雄略天皇の万葉集第一首目の碑がある)。一方、1984年に同市脇本の脇本遺跡で、5世紀後半と推定される掘立柱穴が発見され、考古学的見地からは朝倉宮の有力候補地とされている。
日本書紀の雄略条には幾度も吉野や葛城山で狩猟をした記事があり、狩猟の好きな天皇が、行宮(あんぐう=一時的な仮宮)を設けたかもしれない?
なお、前出の桜井市観光協会公式ホームページには
――十二柱という名前の通り国常立神くにとこたちのかみなど神世七代の神々と、天照大神など地神五代の神、あわせて十二柱の神々を祀っています。参道を抜け石段をあがり境内に入ると、鳥居の脇の狛犬を四人の力士がささえています。出雲の集落は当麻蹴速たいまのけはやと、我が国初の天覧相撲で勝利した 野見宿禰のみのすくねを祖としており、この地は相撲をとった穴師の相撲神社とならぶ、相撲発祥の地として知られています。――
と、ありました。
なお、当古墳の手前(北側)には狛大石古墳、さらに手前(北側)には岩坂大芝古墳群(半壊石室有り)が位置します。