OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

ホケノ山古墳周辺

ホケノ山古墳周辺

2020.3.9(月) 平塚古墳、ホケノ山古墳、宮ノ前古墳、堂ノ後古墳、慶運寺裏古墳

      →檜原神社

JR万葉まほろば線(桜井線) 巻向駅~三輪駅周辺

YAHOO!地図を編集・加工しています。

①~③は「巻野内石塚古墳周辺」、⑥⑦は「茅原大墓古墳周辺」を参照下さい。

巻野内石塚古墳 - OSAKA-TOM’s diary

茅原大墓古墳 - OSAKA-TOM’s diary

【周辺の遺跡地図】

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*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

平塚古墳

遺跡地図506。道沿いにあるが草で覆われ、知らないと古墳とは分からない。  

写真は2021.11.26再訪時のものに貼り換え更新しています。

東面南西望            北望                北東望

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*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

ホケノ山古墳

巻頭地図の④、遺跡地図の504。古墳時代前期初頭の纒向型(ホタテ貝型)の前方後円墳。復元整備され一般に公開されている。

三輪山西山麓箸墓古墳の東側の丘陵。被葬者は不明(大神神社豊鍬入姫命*の墓とする)。築造時期は、副葬品・埋葬施設などから、定型化した大型前方後円墳よりあまり遡らない時期の前方後円形墳墓と考えられ、中国史書に記された邪馬台国の時代に重なると推測されている。前方後円形をした弥生墳丘墓であるとする見方と、古墳時代出現期の纒向型前方後円墳とする見方がある。

豊鍬入姫命 「日本書紀」第10代崇神天皇6年条に、『疫病を鎮めるべく宮中での天照大神と倭大国魂(やまとおおくにみたま)神(=大和大国魂神)の同祀がよくないと皇居外分祀を行う。天照大神を豊鍬入姫(とよすきいりひめ)命に託し、笠縫邑(現桜井市檜原神社)に祀らせた』とある。その後、豊鍬入姫の姪にあたる皇女倭姫命が各地を巡行し垂仁25年に伊勢に辿りつき現伊勢神宮内宮に御鎮座。

円墳に短い前方部を東南方向に付ける。全長約80m。後円部径約55m・高さ約8.5m・3段築成、前方部長約25m・高さ約3.5m、葺石あり。周濠幅約10.5-17m(西側が広い)。なお吉備の楯築双方中円型墳丘墓の中円部と方部の比率が2:1で、纏向型前方後円墳と同比率。かつ埋葬主体の木槨を覆う覆屋は、楯築の主墳頂上の木棺を取囲む5個の巨立石や平原1号墳にも通じ、水銀朱は出雲西谷3号墳にも通じるとの説もある。

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後円部墳頂の中央から「石囲い木槨」が出土。大きな土壙内に内側長約7m・幅約2.7m・高さ推定1.5m(現存約1.1m)の石室状の「石囲い」施設。内部にコウヤマキ製の5mの刳抜くりぬき式舟形木棺を納めた大規模な木槨(=広義の割竹形木槨)。天井は木材を渡し、その上に地元の川原石を積んでいた。棺内は水銀朱で覆われていたと思われるとのこと。古墳時代前期の竪穴式石室とは様相が全く違う。また、前方部裾葺石を一部除去して木棺を埋葬していた。徳島の萩原墳墓群が原型との説もある。くびれ部にも簡単な埋葬施設1基あったらしい。上記2つとは別に、後円部墳頂主体部の西側に横穴式石室があった。すでにあった墳丘を利用して6世紀末頃に造られたと考えられ、石室全長14m以上。玄室には組合式家形石棺が納められていた。

石囲い木槨跡               木棺跡        案内       横穴式石室跡

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副葬品・出土遺物は大・中型壺(瀬戸内系)、銅・鉄鏃各約60本・素環頭太刀1・鉄製刀剣10、画紋帯(同向式)神獣鏡1面(吾作・・・56字の銘文有り)、鉄製農工具・布留0式土器3点の他大量の鉄製品が出土している。*画文帯求心四神四獣鏡の破砕副葬もあった。

駐車場脇の案内

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駐車場は2015年訪問時に比べ、かなり整備されていた。

              (2015年8月当時)         駐車場すぐ北側

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ホケノ山古墳からすぐ南の三差路を、右(西)に行くと国津神社。(更に西へ行き、踏切を渡れば箸墓古墳。)

宮ノ前古墳

遺跡地図505。国津神社社殿の北東裏に高さ2m程の盛土があり、墳頂に幅1m程の花崗岩が僅かに露出(3枚あるらしいが埋もれている)。横穴式石室の石材なのか?明治時代には「堂の後塚」と呼ばれたらしいが、あまり知られていない古墳。

写真は2021.11.26再訪時のものに貼り換え更新しています。

国津神社      社殿北東裏へ     宮ノ前古墳     墳頂        石材  

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堂ノ後どうのうしろ古墳

遺跡地図503。案内板には「径35m程の円墳」とあるが、2005年の地中レーダー探査や2009年の墳丘南側のトレンチ調査で前方部が確認され、南東側に前方部をもつ全長55m~60m以上の前方後円墳と判明したとのこと。葺石・周濠も確認された。出土した円筒埴輪や鶏形埴輪、須恵器などから5世紀後半の築造と推定されている。東面中程から墳頂に登れ、西側に箸墓古墳が望める。

写真は2021.11.26再訪時のものに貼り換え更新しています。

進入路            北望      墳頂へ           案内     墳頂から

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ホケノ山古墳からすぐ南の三差路を左(東)に行くと慶雲寺。

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境内入り口には、石棺の蓋に弥勒菩薩が彫られているが、どの古墳のものか不明。

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慶雲寺裏古墳

長さ13mの円墳。慶雲寺本堂西側の狭い通路を進むと南側に開口した横穴式石室がある。古墳時代後期と考えられる。

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慶雲寺裏円墳 慶運寺裏古墳を囲む墓地の北西角、遺跡地図507。径約12mの円墳。 ホケノ山古墳墳丘から東に50m程なのでホケノ山古墳からも行ける。境内の北側墓地には、春の兆しが訪れていた。

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檜原神社

早咲き桜に導かれ檜原神社まで足を伸ばした。

                    左から耳成山.二上山.箸墓古墳

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檜原神社から、当社予定のルートに戻り、⑥茅原大墓古墳周辺へ向かう。

茅原大墓古墳 - OSAKA-TOM’s diary