OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

真田古墳

真田古墳

2021.11.1(月)市脇古墳群から真田古墳のある九度山町方面へ。市脇古墳群から、紀ノ川沿いの188号線・370号線を6~7km程を歩いて九度山町へ。九度山町交差点からは割と近い。

⑮真田古墳(真田のぬけ穴)

f:id:OSAKA-TOM:20211103105555j:plain

真田古墳方面分岐                                赤〇が真田古墳

f:id:OSAKA-TOM:20211103105704j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211103105713j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211103105723j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211103105751j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211103105801j:plain

牛乳販売店の道向かい。墳丘は全くなく、地下に埋もれているトンネルの入口を上から覗く感じ。構造的には、羨道の上に空地があり、滅失した玄室の天井から俯瞰する形。羨道長1.4m・幅1.7m・高さ1.2m、玄室長3m・幅1.8m・高さ1.7mの両袖式で、古墳時代後期の紀の川流域の古墳と構造・様式をよく残しているとのこと。何とか自撮り棒を差し込んで撮影すると、玄門に袖石として柱石を立て、その上に梁状の楣石を載せているが、あまり見たことのない形状。玄室側壁は、自然石の積石だが、石材の大きさにかなりバラツキがある。左手(北東側)の大きな一枚石は位置的には奥壁だが、楣石・玄門と平行ではなく、側壁よりも高い感じで、玄室天井石を剥がして立て掛けたようにも見える。真田庵は、真田幸村一族が大坂の陣まで蟄居していたところで、この石室も大坂まで繋がったぬけ穴との伝承がある。これが石室としても、このアンバランスさは、急造の抜け穴にしか見えないかも・・・・。前出の橋本駅前の昼食処のご主人も、抜け穴と信じられていたご様子だった・・・。

木柵で囲われている   案内           解説          玄室左(南東)壁

f:id:OSAKA-TOM:20211103110416j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211103110425j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211103110439j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211103110458j:plain

玄室(北西)壁       俯瞰南西望       玄門部

f:id:OSAKA-TOM:20211103110803j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211103110813j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211103110830j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211103110841j:plain

この後、真田庵等を見ながら帰路につきました。全20km程の工程を完歩。