2021年8月11日(水)唐古・鍵考古学ミュージアム→唐古・鍵遺跡→笹鉾山古墳→黒田大塚古墳。2022年3月11日(金)三宅古墳群訪問。
唐古・鍵考古学ミュージアム
田原本たわらもと町大字阪手233−1(近鉄橿原線田原本駅から1.5km)。遺跡は、だだっ広い芝生公園の様相で、「ここから〇〇が出土」といった案内しかないので、ミュージアムで予備知識を仕入れてから、遺跡に行くのがお勧め。
唐古・鍵遺跡
弥生時代の環濠集落跡。本来は40㏊程だが、現状は300m平方=9㏊程。大型建物跡や青銅器鋳造炉など工房跡が発見された。また銅鐸の主要製造地であったと見られ、弥生時代の列島内でも重要な勢力拠点があった集落と見られている。H11年(1999年)国の史跡に指定。敷地北西の一角に「遺構展示情報館」があり、発掘の復元現場や当時の祭祀状況模型等が展示されている。
遠景北望 案内図 解説板例 復元楼閣 南望(こっちが正面)
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遺跡から24号線を西に越え南下、更に寺川を西に越えて、笹鉾山古墳へ向かう。
笹鉾山ささほこやま古墳
磯城郡田原本町大字八尾字山本(上図①)。1号墳は前方部を東に向ける古墳時代後期6世紀前半の前方後円墳。全長88mで2重周濠を持っていたとのこと。現在は墳丘上に稲荷平野神社が祀られ、前方部に向かって参道が伸び、古墳らしい様相は殆ど無い。主体部は不詳だが、墳丘には埴輪が樹立していた。1号墳の約30m北側に、径約19.5mの円墳=2号墳があった。この2号墳周濠から、馬を引く人物と飾り馬の埴輪が2組出土。1体の人物の顔には入墨の線刻がある。その他、蓋形・円筒・朝顔形埴輪・笠形木製品等が出土。唐古・鍵考古学ミュージアムに展示されている。
標識 1号墳南望 前方部 墳丘の現状
2号墳案内 2号墳位置 馬を引く人物埴輪(左が入墨のある人物)
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黒田大塚古墳
田原本町黒田(上図②)。6世紀前半の前方後円墳で前方部を西に向ける。全長55m、後円部径28m・高さ6m、前方部幅23m・高さ5m(元は全長70m、後円部径40m・高さ8.2m、前方部幅45m・高さ7.7m)。周濠跡あり(幅8m、深1m)。埴輪あり、葺石はなし、埋葬施設は不明。円筒埴輪、蓋形埴輪、蓋(笠)形・鳥形の木製品等が出土。三宅古墳群(下記参照)の南端に位置する。
案内 後円部南望 前方部南望 全景南西望
後円部東望 東側見下し 前方部西望 案内
*三宅古墳群
2022年3月11日(金)三宅古墳群訪問。磯城郡の川西・三宅・田原本町にまたがる5世紀後半~6世紀前半に最盛期を迎えた古墳群。前方後円墳を中心に(現状)17~18基で構成されているが、消滅した古墳もあり、本来はもっと多かったと想定される。三宅町一帯は『日本書紀』垂仁・景行天皇条に記述のある直轄地=「倭屯倉やまとみやけ」の想定地とされ、屯倉造営の指揮者や在地の部族首長との関係性が指摘されている。北端の川西町唐院には「島の山古墳」という4世紀末~5世紀初頭の墳長195m(周濠含め265m)の巨大前方後円墳がある。
寺ノ前古墳
三宅町屏風字寺ノ前。奈良県遺跡地図11A-0017。前方後円墳で、全長32m、後円部径20m、前方部幅21m。墳丘・周濠跡がはっきり残っている。
南東望 案内 西望 北西望
安養院古墳
川西町結崎。奈良県遺跡地図11A-0009。全長約50mの前方後円墳とのことだが、墳丘は確認できない。
茄子塚古墳
三宅町屏風。奈良県遺跡地図11A-0018には花子塚とあるが?。周囲の田圃で方形に整形されているが、墳形不明。18m前後。
安養院南東望 茄子塚南東望 案内 北西望
高山古墳
三宅町伴堂ともんど。奈良県遺跡地図11A-0019。前方後円、全長56.5m、後円部径19m、前方部幅33.2m。
南望 案内 前方部西望 遠景北東望
瓢箪山古墳
三宅町伴堂。奈良県遺跡地図11A-0021。前方後円墳、全長35m、後円部径13.5m、前方部幅14m。墳丘が明瞭に残っている。
西望 後円部墳頂碑 前方部方面
後円部方面 墳頂碑 遠景北望 案内
アンノ山古墳
三宅町伴堂。奈良県遺跡地図11A-0023。全長50mの前方後円墳。
西望 案内 北西望 南西望
遺跡地図では無名の11A-0024(円墳?・径9m)と11A-0025(方墳?・辺18m)も田圃の中に遺存する。
24東望 北東望 25南望 北望