OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

美旗古墳群

美旗古墳群

2021年4月22日(木)馬塚→毘沙門塚→女郎塚→殿塚→貴人塚→赤井塚 全行程10km

伊賀地方を代表する古墳群。1978年(S53)10月国史跡指定。古墳時代前期~後期にかけ、地域を支配した首長が築造し、伊賀地方で最大規模の古墳群。現存は、5基の前方後円墳と横穴式石室を持つ円墳1基、方墳1基。(カブト塚・矢羽塚・玉塚などの方墳と円墳の多くは消滅)。

食事のできるところは、貴人塚~赤井塚に向かう途中に2カ所ある。行程10km程なので、昼食をはさんで4時間位で回れる。

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馬塚

名張市美旗町中1番。5世紀後期の前方後円墳近鉄美旗駅のすぐ南側。県内第2位、美旗古墳群では最大の規模(県下最大の御墓山古墳190mに次ぐ)。全長142m。後円部径98m・高さ14m・3段築成。前方部幅100m・2段築成。両側に造出し・幅12mの完周周溝が有り。伊賀全域を支配した首長墓と思われる。

後円部南東望    前方部南望     石碑        後円部東望      くびれ部南東望

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後円部墳頂南西望  墳頂から前方部    墳頂から北東望   西望       南東望=小塚・貴人塚

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小塚

名張市美旗町中1番。馬塚の東60m。辺約15m・高さ3.5mの方墳。馬塚古墳の陪塚と考えられている。

意外と西側住宅街からは見えない。馬塚後円部墳頂からの方が良く見える(上の右端写真)

毘沙門塚

美波多神社を経由して毘沙門塚へ。美波多神社境内の案内には、当地の開墾状況が記されている。

毘沙門塚は5世紀中頃の帆立貝式前方後円墳。全長約65m、後円部径44m・高さ7m、前方部幅20m・高さ3m。両くびれ部に造出し(東部は削平)、葺石・埴輪を検出。幅6mの完周周濠を備える。後円部に板石が散乱していて竪穴式石室があったとみられるが、盗掘されているとのこと。周濠が綺麗に残り、帆立貝型の前方部と、造出しがよく分かる。

美波多神社    北東望         前方部東望    くびれ部南望    後円部西望

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女郎塚

毘沙門塚から東へ、狭い踏切を越えると、「こども園」の東にある。名張市新田。5世紀前半の帆立貝式前方後円墳。全長約100m、後円部径73m・高さ9m、前方部幅40m・高さ3m。葺石・埴輪が検出され、全周に幅10m程の周濠跡が今も残る。

殿塚古墳

名張市新田。4世紀末~5世紀初頭の前方後円墳。美旗古墳群で最初に築造された。全長約90m、後円部径56m・高さ7m・3段築成、前方部幅40m・高さ6m・2段築成。北の丘陵を整形して築造された。葺石・埴輪を備え、周囲は空堀状の平坦地だが、今は墓地として利用されている。後円部北西側に2基ワキ塚陪塚群があるが、木々で覆われている。ワキ塚1号墳は23mの方墳で、木櫃に銅鏡・衝角付兜・鋳造鉄斧等出土。2号墳は長径26mの楕円形で、粘土槨2つに、各々鉄刀や鉄鏃検出。

女郎塚西面北望  案内         東面北望      殿塚東面     後円部周囲の墓地

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途中の風景

初瀬街道奈良県桜井市初瀬と三重県松阪市六軒を結ぶ街道。壬申の乱に備え、大海人皇子(天武天皇)が東に逃れた道とも伝わる。以前は参宮表街道とも呼ばれ、大和と伊勢神宮とを結ぶ道のうち、比較的平地が多い街道としてよく利用された。貴人塚に向かう途中に、江戸時代の新田宿の様子を記した案内があり、旧旅籠には暖簾が掛かっている。また「新田用水の日時計」というのがあったが、大きさは20cm程でかなり小さい。さらに貴人塚への分岐には大きな常夜灯(陸の燈台)がある。

新田宿案内     旧旅籠         日時計案内と日時計         常夜灯

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貴人塚

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名張市小波しもおばた。田んぼの中にポツンとある。6世紀初頭、元は全長約55mの前方後円墳(現存47m)。後円部径約35m・高さ4.5m、前方部幅35m・高さ4m。幅約5mの全周濠あり。墳頂に径3mの円形陥没があり、横穴式石室の可能性がある。後円部墳丘北東側面に隙間が開いているが、石室かどうか不明。

全景南西望     後円部墳頂陥没    前方部       後円部墳丘側面隙間 内部

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赤井塚古墳

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名張市上小波田みおばた。6世紀後半の円墳。民家の東裏にある。現状径約20m(元は30m程)・高さ6.5m。両袖式の横穴式石室で南側に開口するが、今はフェンスがあり入室できない。花崗岩製の石室は全長約12.8m、羨道長6.8m・幅1.3m・高さ1.4m、玄室長約5.7m・幅約2.4m・高さ約3.6mで、奥壁と前壁の持ち送りが大きいとのこと。

赤井塚への分岐   遠景東望       近景東望            開口部

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