OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

五條猫塚古墳周辺

五條猫塚古墳周辺

⑤つじの山古墳→⑥五條猫塚古墳→⑦近内鑵子塚古墳→⑧丸山古墳→⑨今井1号墳→⑩こうもり塚古墳→⑪南阿田大塚山古墳→⑫黒駒古墳→⑬西山古墳→⑭塚山古墳→御所市⑮篭田塚古墳   *御所市内 ①塚廻り古墳跡→②ビワノ木古墳跡→③鬼ケ城古墳跡→④伏見八幡神社古墳

2020年11月10日(火)。県道30号線沿いの奈良県御所市の古墳に立ち寄った後、奈良県五條市の古墳を巡る。

近内古墳群の⑤、⑥、⑦、⑧、⑬だけならJR和歌山線北宇智駅から歩ける。私は五條市の古墳を一度に巡るため、車で行ったので、巡った順に掲載します。

つじの山古墳

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五條市近内町。5世紀後半の方墳で一辺52m、高さ9m、葺石あり。墳丘の大きさだけなら石舞台古墳に匹敵する。この地域は方墳が多く、当古墳以外にも猫塚・塚山・西山・青墓古墳等がある。埴輪は周濠部で発見されているが、築造時は造出部と外堤の上に円筒・朝顔形・鰭付円筒埴輪を並べていたらしい。周濠部より円筒埴輪以外にも、コウヤマキ製の石見いわみ形木製品(残存部長さ130cm・最大幅33cm・厚さ最大3.4cm)や須恵器片が出土。埋葬施設は不明で、被葬者も不詳だが、近内古墳群最後の首長で、朝鮮半島の影響がある紀氏の一員との説もあるらしい。1998~2000年の調査では墳丘東側に舞台状の造り出し(東西5.5m、南北20m、高さ1m以上)が発見され話題になった。墳丘は比較的、方墳としての形がよく残っており周濠跡も水田や、畑として残っている。墳丘は草深くて、登るのは断念。

このブログ記事掲載時に気付いたが、東側(上の右端図⑤の東側の道)に墳丘へのアクセス道と解説板があり、そこからなら簡単に昇れただろう。事前調べは入念にしないといけないと反省

西面遠景         西面近景        南西角          北西角

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画像をクリックすると拡大されます。

五條猫塚古墳

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五條市西河内町。5世紀前半の方墳。五條市近内集落の南約500mの狭い谷間に点在する1基。墳丘規模は1辺27m・高さ約5m。墳丘表面には埴輪がめぐり、斜面には拳大の葺石が敷き詰められていたことが判明。墳丘中央には全長5.17mの竪穴式石室があった。石室内には埴製の枕が中央にあり、被葬者は北西に頭部を向けて葬られていた。被葬者の周りには甲冑、帯金具、刀剣、鉾などの武器を中心に、多数の副葬品があった。3点出土した眉庇付冑の1つは「蒙古鉢形」と呼ばれるもので金銅製。他の2点の冑も金銅製で金銅と鉄を組みあわせ、前後左右に金銅を張る「四方白」と呼ばれる形式とのこと。このような華美な冑は数例しか出土していない。さらに金銅製透彫銙帯(かたい=革帯)金具は、今でいう革ベルトを飾るもので、透彫りには竜紋と三葉文があるが、類例が少なく、文様の構成から大陸との関係が窺える。他に鍛工具類=ヤットコ・金鎚・タガネ・カナトコ・砥石等が出土。渡来系工人との関係なども窺われ、この地での大和と紀ノ川を仲立ちした、大陸との交流が考えられるとのこと。

猫塚古墳方面       遠景南望         近景南望         解説板

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近景西望         北西望赤〇が解説板   墳頂から南東面見下ろし  墳頂から北望

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*705号線北西端=261号線の北山大橋東詰交差点から600m南西に五條文化博物館があり、猫塚古墳の出土品も展示されていました。また、猫塚古墳の南西150mの処に、堂城山古墳(一辺10m程の方墳=消滅)もあったらしい。

出土冑3点(右端はレプリカ) 鉄製工具・帯金具(右端。前はレプリカ) 発掘当時     堂城山古墳出土品

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五條文化博物館の設計・監理は、建築家安藤忠雄氏らしく、すごく立派な建物でした。

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近内鑵子塚古墳

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五條市近内町向山。5世紀前半の円墳。径85m・高さ12.5mで2段築成。全面に葺石・埴輪あり。周溝一部残存。埋葬施設は箱式石棺(墳頂部盗掘抗から緑泥片岩の板石が発見され、板石には組合式の溝が掘り込まれており、埋葬主体の箱式石棺と思われるとのこと)。滑石製勾玉1点、円筒・形象・家形埴輪が出土。被葬者は在地の首長。県下の円墳では奈良市の富雄丸山古墳、大和高田市のコンピラ山古墳に次ぐ直径85mの巨大円墳。向山丘陵の最高所にあり、近内古墳群の盟主的な古墳で、群中最も古い時期に築造されたと考えられている。墳丘テラス状の所は墓地として利用されている。墳丘の雑木林をすり抜けて墳頂には登れるが、径8m・深さ1.5mの大きな攪乱跡があるだけ。

駐車位置         近内鑵子塚方面     登り口

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解説板         テラス状部分の墓地    葺石とAファイル       墳頂部攪乱跡

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丸山古墳

五條市三在町、5世紀中頃の円墳。2段築成、径約37m・高さ約6.5m。葺石、円筒埴輪の列あり。墳丘周囲には幅5mの周溝と幅12mの外堤が巡っていた。埋葬施設は不明で、墳頂部に長さ9m、巾3mの盗掘穴があるらしい。墳頂部で須恵器片、外堤で埴輪片が出土。1990年に県道建設に伴い、古墳北方の小規模な発掘調査をしたらしい。被葬者は不明。近内鑵子塚古墳に続いて築造されたと考えられ、規模は縮小するが、周濠と外堤を持つ立派な古墳で、近内鑵子塚古墳と同一系譜集団によって築造されたと思われるとのこと。ある古いブログでは「周濠と外堤を持ち、外堤は後世の開墾でかなり破壊されているが、周濠は驚くほど旧状をよく残している」とのことだが、今は雑木林で、殆ど墳丘は確認できなかった。

遠景南東望        進入口(無施錠)                  たぶん墳丘?

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西山古墳

実際の訪問順は13番目。位置的に丸山古墳に近いので、ここで掲載しています。

五條市三在町。5世紀中頃~後半の方墳。東西43m・南北48m・高さ6.5m。基底部が水田下に埋没しているが本来は一辺54mらしい。斜面に葺石あり。平坦面には円筒埴輪を並べていたとのこと。埋葬施設は未調査のため不明。周辺に緑泥片岩の板石があり、複数石棺埋葬の可能性もあるが、出土遺物も不明。1977年の測量調査のみで、被葬者も不明。近内古墳群を代表する首長墓のうち最も東に位置し、墳丘規模・形態が「つじの山古墳」と類似し、同一基準で作られた可能性が指摘されている(築造はこの古墳のほうがやや古い)とのこと。北東部の墳丘が一部崩れたり、墳丘の周濠跡が池・水田・私有地となったりしている。日時の記載がないブログに「墳丘上にも登れる・・・・・墳丘中段の北側に小さ神社があり祠の台に緑泥片岩が使われたり所々に散在することより恐らく箱式石棺の一部と思われます。お見逃しのないように」と貴重な記事がありましたが、鬱蒼とした杜のようだし、時間の都合で登墳はパスしました。

なお、これまたブログ記事掲載時に気付いたが、墳丘北側にアクセス道らしきものがあり、そこからなら昇れただろう。時間の余裕をもって現地で入念に周辺観察すること、事前調べの重要性につき反省

南東側は私有地で入れない。    西望               南西望

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整備状態、夏と冬、1年違いで周辺風景が一変するので、古墳散策ブログでは、散策日時も貴重な情報ですね。私のブログも、2021年以降には、参考にならないかも・・・?

続いて⑨今井1号墳→⑩こうもり塚古墳→⑪南阿田大塚山古墳→⑫黒駒古墳と、五條市のメイン古墳を巡ります。

今井1号墳 - OSAKA-TOM’s diary