天皇の杜古墳
乙訓古墳群現存古墳の北端。4世紀後半~末の前方後円墳。桂川右岸の山麓。中世から、文徳天皇(平安時代850年即位の55代天皇)陵と伝承されており、古墳名の「天皇の杜もり」や周辺地名の「御陵」はそれに由来。現在も墳丘が良好に保たれ、1988-1989年度(S63-H1)に発掘調査実施。前方部がやや細長い柄鏡式の前方後円形で、前方部は南南東方向。墳丘長83m。後円部2段築成、幅50.5m・高さ7.2m。前方部2段築成、幅33.5m・高さ4.8m。墳丘83mは京都市内では最大級。墳丘表面では葺石・埴輪列(円筒埴輪・朝顔形埴輪)が検出されている。周濠は巡らされていないが、周濠様の兆域区画が認められている。主体部の埋葬施設は未調査。被葬者は明らかでないが、桂川右岸を治めた有力者と見られている。1922年(T11)国の史跡に指定、現在は史跡公園として整備・開放されており、墳丘にも登れる。
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山陰道=国道9号線沿いにあり、場所は判り易い。ただ、車で行くなら、9号線沿いの焼肉屋さんの西裏に、一段低く隠れているような位置なので、うっかりしていると通り過ぎてしまう。
古墳東側南望 解説板付近から墳丘西側南望 解説板
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前方部南端北望 同左見下ろし
前方部から後円部北望 くびれ部東側 くびれ部西側
後円部墳頂 後円部西側北望 後円部墳頂登り口
なお、乙訓古墳群での現存古墳南端は、「天王山の戦い=山崎の合戦」で著名な大山崎町、天王山登山口の小倉神社付近にある「鳥居前古墳」。現在は竹藪で覆われ、墳形は殆ど崩れており、どれが古墳かも確認しにくい状態です。
鳥居前古墳の概要リーフレットはこちらからご覧になれます。/大山崎町
【参考】