OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

堂山古墳群

堂山古墳群

2020年8月4日。交野市→寝屋川市大東市東大阪市の各古墳巡り。

堂山古墳群の概要

大阪府大東市寺川4丁目675-1。5世紀前半~7世紀中頃の古墳群。1969年府営水道寺川配水池建設予定地となっていた堂山山頂(標高98m)で埴輪や鉄刀が発見された。生駒山西麓のなかで、それまで古墳が造られていなかった地域に突如として出現した古墳群である。2012年3月末に堂山古墳群史跡広場としてオープンし管理されている。

行き方

最寄り駅はJR片町線(=学研都市線)の「野崎駅」。

徒歩=野崎駅東口→府道163号線を東方面→野崎交差点で国道170号線を南方面へ300m→「来るぶらり四条」=「歴史とスポーツふれあいセンター」のある交差点で左折→【宮谷1号墳石室】横を過ぎ東高野街道を南方面へ260m→大東消防署東分署で左折し、東方面へ280m登る→水道局第二配水場脇に登り口がある。ここまでの全行程1.4km。

国道170号線から徒歩と同じ。堂山古墳群への登り口周辺には駐車場は無く、「歴史とスポーツふれあいセンター」だと1時間無料らしい(1階窓口に声がけ必要)

 *写真をクリックすると拡大されます。f:id:OSAKA-TOM:20200809095833j:plain

 宮谷1号墳      解説       史跡広場登り口   黄色〇の案内図   登り口見返り 

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史跡広場へは一本道

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堂山1号墳へ 1号墳だけは北西に下ったところに離れて位置する。

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詳細

保存古墳は7基。標高が低い所にある1号墳は5世紀前半、丘陵先端の花崗岩盤を削り出した、径25mの円墳。後円部直下の墓坑に組合式箱型木棺を直葬。棺内からは装身具、副棺からは武具、墳裾から円筒埴輪が出土。2号墳~7号墳は横穴式石室を主体とし、木棺に使われたと思われる釘や陶棺、人骨等出土し、6世紀末~7世紀中頃の築造と推定。

1号墳

    解説                   1号墳東望        1号墳から西方見下ろし

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2号墳

一番高い所にある。    赤○辺りが2号墳                解説

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4号墳・7号墳

2号墳から南へ下った所にある。

4号墳 上から    下から                 4号墳北東隣の7号墳

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3号墳

3号墳 上から          下から

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6号墳

6号墳 上から      東横から         下から

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5号墳

5号墳 下から                        階段上から(右赤〇が5号 左が6号) ↓

 

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野崎観音

大阪府大東市野崎2丁目7-1。野崎観音は通称。本来は慈眼寺じげんじ曹洞宗山号は福聚山ふくじゅさん
生駒山地北部の西側中腹で、大阪平野を一望する。境内から野崎城跡→飯盛山への河内飯盛山ハイキングコースが伸び、登山者の参詣も多いらしい。5月の無縁経法要は、江戸時代から「野崎詣り」の名で親しまれている。かつて「野崎詣り」は大坂から川を遡り、当時の生駒山麓の深野池まで舟で行くという参詣風景が、人形浄瑠璃や落語等の演目となっている。
天平勝宝年間(749 - 757年)に天竺=インドから来朝した婆羅門僧が行基に、「野崎は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(サールナート)に似ている」と語り、それを聞いた行基が白樺で十一面観音を刻んで当地に安置したのが始まりとされる。本尊は長谷寺の本尊と同木から彫られたともされる。平安時代、遊女江口の君が、難病治癒の報恩に感謝し、現在の地に寺を移転し、再興に尽力したという。

             周辺案内        十一面観音を安置する本堂     境内 

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ここから旧の国道170号線東高野街道で3.5km程先の石切神社・神並こうなみ古墳群・山畑古墳群に向かう。

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