OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

赤土山古墳周辺

赤土山古墳周辺

櫟本墓山古墳→東大寺山古墳→和爾下神社古墳→赤土山古墳東大寺古墳群移築石室

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櫟本いちのもと墓山古墳

天理市櫟本町。5世紀末~6世紀前半の前方後円墳

前方部を北西に向ける。全長64m、後円部径40m・高さ7m、前方部幅18mとのこと。江戸時代からの墓地で、現在も古墳と知らなければ単なる墓地である。北側のスーパー方面からアクセスした方が道は広い。2019.7.17(水)。

墓地駐車場        北面遠景         北東面近景        南面

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*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

東大寺山古墳

天理市櫟本町。4世紀中頃の前方後円墳

天理教城法しきのり大教会敷地の北東側。朝早くからでも開放されている。事務所が開いていれば一声掛けて下さい(開いていなければそのまま登っていいらしい)。2022.10.6(木)再訪。

教会敷地内登り口                  案内           登り口見返り

墳頂方面                                   墳頂北東望

天理市和邇わに町から櫟本町にかけて和邇(わに=和珥とも)氏の支配地で、一族の墳墓が丘陵上に築造された。和邇氏は5~6世紀の中央豪族。2世紀頃日本海側から畿内に進出した太陽信仰を持つ鍛冶集団とする説がある。一族の本業は、朱の生産であったとされ、この朱を採掘し尽したことが一族の移住の要因との説もある。丘陵には県下最大規模の弥生後期の高地性遺跡もあり、東西約400m・南北300mの範囲内に竪穴式住居があって、二重の空堀が巡り、空堀の構造は大阪府和泉市観音寺山遺跡と類似しているらしい。東大寺山古墳はこの高地性遺跡と重複するようにあり、その遺跡の消滅後、150~200年ほど経ってから築造されたとのこと。前方部を北に向ける推定140mの前方後円墳。墳丘中腹や墳裾に円筒埴輪列、墳頂部には形象埴輪列が巡っていた。後円部墳頂の埋葬施設は、南北主軸に平行する木棺を覆った粘土槨で、長さ推定南北12m・東西8m、深さ3.7m。今はその痕跡と見られる窪みが見られる。

粘土槨跡の窪み北西望   北東望          墳頂西望         墳頂東端

粘土槨の東西に墓壙が掘られ、武器や武具が多数副葬されていた(主要部分は盗掘)。東側墓壙から、中国古代=後漢末の「中平」年号(184~189年)の鳥形飾環頭大刀が出土。この「中平」銘鉄刀を含め、5本の装飾環頭付きの鉄刀(柄頭に「輪っか」が付いた大刀)の環頭(輪っか)部分には、様々な細工(鳥形・家形)がされている。また鉄剣の列に沿って7点の巴形銅器(革製の盾や靫に装着する飾り)も出土。その他、 鉄刀20本・鉄剣9本等の武器類、玉類、鍬形石27・車輪石26(腕輪形碧玉製品)、滑石製壺等が出土。出土品大半は国宝になっている。

「中平■年 五月丙午 造作支刀 百練清剛 上応星宿 下辟不詳」

「中平■年五月丙午の日に、この銘文を入れた刀を造った。百鍛の鋼の刀で、天上では神の御意にかない、下界では災いを避けることができる」刀身は内反り(刃側に反る)で、日本の前期古墳に特有の直刀とは違い中国後漢製。中国製刀身に、日本で日本式環頭を付けたと推定されるらしい。

和爾下わにした神社古墳

天理市櫟本町治道山。4世紀末~5世紀初頭の前方後円墳

東大寺山古墳や赤土山古墳等と共に東大寺山古墳群に属する。前方部を北に向け、全長105m、後円部径60m・高さ12m、前方部幅39m・高さ7m。後円部墳頂に和爾下神社が鎮座するためか、墳丘はかなり改変されている。1984年にくびれ部東西方向、後円部北側斜面や後円部平坦面の一部のみ調査されたとのこと。古代有力豪族の和爾氏の本貫地とされる辺りで、被葬者は和爾氏一族と考えられている。神社西側の柿本寺跡に竜山石製の石棺石材と思われる板状の巨石がある(この古墳のものか不明)。2022.10.6(木)再訪。

北側参道         柿本寺跡南望       石棺石材西望       北望

神社参道階段東望     拝殿東望         縁起           後円部北東望

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赤土山古墳

天理市櫟本町。4世紀後半=古墳時代前期後半の前方後円墳。 

全長106m。前方部を西に向ける。後円部東先端に突出部(造出し)があり、双方中円形ともいえる形になる。墳丘は2段築成で、葺石円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)の他、形象埴輪(蓋形・短甲形・盾形埴輪等)が出土している。周濠はないが、前方部の先端が掘割で区画されている。また後円部突出部の南側には、家形埴輪や囲形埴輪による祭祀遺構が認められた。埋葬施設は 粘土槨らしいが、損壊しており粘土槨片や朱と、石製腕輪類・石製模造品の副葬品が見つかったとのこと

かなり整備されており、墳丘にも登れ、墳裾各所に解説がある。時代の最先端を行く電気メーカーに隣接し、今はいかにも過去の名残の様に見えるが、築造当時は最先端の人工構造物だったはずで、感慨深い。2019.7.17(水)。

古墳入口         掘割遺構解説      墳丘北側東望(奥が後円部)  後円部南東望

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復元祭祀遺構                            後円部南面

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東大寺古墳群移築石室

シャープ正門右手に移築されている。不審者と思われないよう、守衛さんには一言、言っておいた方が良い。2019.7.17(水)。

正門前の移築位置  移築先の案内    石室

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