OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

峯塚古墳周辺

2019.7.17(水)。保昌塚古墳→峯塚古墳→西・東天井山古墳→笠神山古墳→小墓古墳→西乗鞍古墳→東乗鞍古墳

 天理市内の古墳23ヵ所散策の詳細版「西山古墳」からの続き・・・・・。

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                             *YAHOO!地図を編集・加工しています。

保昌塚古墳

県道51号沿い。現状は直径約17m。著しく削平され本来の形や大きさは不明な点が多い。直径25~35m程度の円墳との調査結果がある。椀を伏せたような古墳。峯塚案内の地図にも記されている。上図参照。

峯塚古墳

天理市杣之内町峯堂。7世紀中葉の円墳。

東から延びる尾根の南裾にあり、南向きに開口する「岩屋山式」横穴式石室がある。墳丘は3段築成、各段裾の直径は下段から約35m・28m・17mで、高さ約5m。墳丘上段葺石は凝灰岩質砂岩の長方形の切石をレンガ様に葺いていたらしい。中段・下段の葺石には径5cm程度の円礫が使われていた。墳丘周囲には周濠が巡っていた可能性もあるとのこと。石室は全長約11m、羨道の入口付近を除き築造当時の姿のまま。玄室は長さ4.5m、奥壁幅2.6m、天井石までの高さ2.4m。石材は、最大で幅4.5m、高さ1.2m、2段積みで天井石を支える。どれも綺麗に加工された切石。石室内は早い時期に盗掘され、副葬品や棺は不明。石室の特徴から7世紀代と推定されるとのこと。塚穴山古墳とともに大和の古墳時代終末期を代表する。西山古墳から東約500mほどにあり、墓地の下に位置するため墓山とも呼ばれるらしい。

*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

古墳方面へ    古墳案内   フェンス端を北へ           祠の手前を東へ

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無施錠のフェンス   東へ30m    北へ15m            開口部

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玄室全景      西側壁       東側壁        奥壁(A4ファイルは大きさ比較)

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奥壁上部     天井石     床       楣石部分    右袖石      左袖石

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西・東天井山古墳

天理市杣之内町。円墳。

発掘調査は未実施だが、S52年(1977)に天理大歴史研究会が墳丘測量調査実施。西天井山古墳は直径28mの円墳、墳丘には埴輪片が散布していた。東天井山古墳は直径37mの円墳で、墳丘斜面に葺石が露出、円筒・家形・蓋形埴輪等が採集されたらしい。

笠神山古墳

天理市仙之内町。古墳時代中期の前方後円墳。 

全長45mで前方部を北西に向ける。標高110mの丘陵上。発掘は未実施だが、H2年(1990)に天理大歴史研究会が墳丘測量調査。円筒埴輪や須恵器、桂甲(小札)等採集。

いずれもそれらしい場所を撮影はしたが・・・・・。自信なし。

たぶん西・東天井山古墳              笠神山古墳辺り

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小墓古墳

天理市杣之内町小墓。5世紀末~6世紀前半の前方後円墳。

西乗鞍・東乗鞍古墳と同じ丘陵上に築かれたらしい。いずれも古墳時代後期。全長約80m、後円部径約50m、現状は高さは6m(上部が削平され本来の高さは不明)とのこと。前方部幅は約70mで前方部を南南西に向ける。幅約12~13mの周濠も確認されたとのこと。1978年(S53)発掘調査で周濠から埴輪状木製品(蓋きぬがさ形・さしば形木製品等)が多数出土。埴輪では、全国でも十数例しかない円柱を持つ高床式の家型埴輪が注目されるらしいが、今回は墳丘を眺めただけ。

北東望                       北西望

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西乗鞍古墳

天理市杣之内町乗鞍。古墳後期の5世紀末~6世紀前半の前方後円墳。

杣之内古墳群では西山古墳に次いで2番目の規模。前方部を南に向け、全長約118m、高さ18m。墳丘周辺に、周囲より一段高い幅広の平坦地が一周するように巡り、それを含めると南北約165mになるらしい。発掘調査で、墳丘は上下2段に造られている可能性が高く、周濠と外堤が埋没して現在の広大な平坦地になっているとのこと。外堤の外側にも掘割がめぐっていたらしいことなどが確認されている。埋葬施設は不明だが横穴式石室の可能性がある。円筒・形象埴輪、土師器・須恵器などが出土している。同時期の古墳としては大王墓に次ぐ規模で、王権を支えた有力豪族の首長墳に匹敵する規模。H30年2月付で国史跡。

後円部南望        墳裾の解説板      登ってすぐの平坦地    墳丘登り口

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墳丘へ                           後円部墳頂     前方部碑

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東乗鞍古墳

天理市杣之内町乗鞍。6世紀中葉の前方後円墳。

全長75m、後円部径44m、前方部幅68m、前方部は西向き。全長14.8m(玄室長5.7m、幅2.4m、高さ3.3m)の右片袖式横穴式石室。馬具、甲冑の小札等出土の言い伝えがあるとのこと。2018年2月に前方部の一部を発掘し2段築成であることが判明、従来埴輪の存在は知られていなかったが、一段目のテラスから円筒埴輪の破片が見つかった。後円部墳頂は大きく凹み土砂が多量に石室内に入り込んでいる。石室は南に開口し、玄室に2棺置かれていたらしい。奥に阿蘇ピンク石の刳抜式家型石棺、手前に組合式石棺の底石の一部が残存している。現在石室内入室禁止。物部氏墳墓との説がある。

前方部遠景      墳丘南面     石室開口部方面   開口部       前方西面

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以下アクセス方法等、別掲載記事をご覧ください。

東乗鞍古墳 - OSAKA-TOM’s diary

 

続いて、マニアックなノムギ古墳から馬口山古墳周辺へ向かう。

osaka-tom.hatenablog.com