OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

巻野内石塚古墳周辺

巻野内石塚古墳周辺

JR万葉まほろば線(桜井線)巻向駅纏向遺跡巻野内石塚古墳、サシコマ古墳、小川塚西古墳・小川塚東古墳、茶ノ木塚古墳、北口塚古墳 2020.3.9(月)

 

【古墳豆知識その7】古墳散策時注意事項 

自分の失敗談をもとに、散策時注意していることです。
古墳位置、道順の下調べ

・道標・標識・案内が全く出ていない古墳が多いので、目的地への道順、目的古墳の知識調べを入念に行う。 ネットの地図・古墳散策系のブログ等でチェック。それでも見つからないことも結構多い。

・目的地周辺にも他の古墳・遺跡があることが多いので、「遺跡地図」で事前に周辺を確認する。 ただし「遺跡地図」は消滅分も載っているので、そのつもりで。

・昼食・飲料を現地調達する場合は、コンビニ・食事処をネット地図で確認しておく。古墳のあるような場所は、コンビニ・食事処が全くない事も多い。自販機は結構多い。
・車で行く場合は、駐車可能場所を確認する。(ナビで目的地には行けるが、駐車可能場所までは分からないので) 。写真地図やグーグルマップのストリートビューで目的地周辺を確認するのがベスト。
・その上で、最短ルートや、無理のない時間配分を決めておく。 

持ち物(目的古墳の特徴に応じ)
・軍手(急傾斜地や笹藪等で有効)
 人指指先は切り取っておく(スマホ操作の時便利)
・小型懐中電灯か小型ランタン(石室見学時は必携)
・自撮り棒(施錠されている石室等で、柵から差し込み外撮りする)
・携帯虫除け(特に夏場は藪蚊がすごい)
・地図等下調べ資料
・筆記具
・汚れてもいい服装・靴。(急傾斜地や笹藪。湿地も多い)
 夏場は、草の種がくっつかない素材のもの。靴はゴミ袋等で包むことでも良い。
・タオル・ティッシュ・ゴミ袋

 

JR万葉まほろば線(桜井線)巻向駅~三輪駅

f:id:OSAKA-TOM:20200310092934j:plain

          YAHOO!地図を編集・加工しています。

 

JR万葉まほろば線(桜井線)の巻向駅周辺が纏向遺跡。西へ500m程行くと纏向まきむく古墳群、南へ600m行くと3世紀中頃~最古の前方後円墳で、卑弥呼の墓との説もある箸墓はしはか古墳がある。2015年8月に柳本駅巻向駅の周辺を散策したが、今回はその時行かなかった所を目的に廻った。

纏向遺跡

万葉まほろば線を走る電車は2両編成だが、巻向駅は電車の長さの割に、ホームが140m程あり、ホームの北の端から、邪馬台国との説もある纏向遺跡が見れる。

f:id:OSAKA-TOM:20200309093338j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200309093126j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200309093148j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200309093201j:plain

       *PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

纏向遺跡は、桜井市三輪山の北西麓一帯に広がる、3世紀に始まる弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡。一帯は前方後円墳発祥の地と推定される。邪馬台国の中心地に比定する説もある。巻向駅を中心に東西約2km南北約1.5kmの楕円形状で、範囲は約3km²(300万m²)になるらしい。唐古・鍵遺跡の約10倍の規模を持ち、後世の藤原京に匹敵する巨大な遺跡であり、東北地方の一大軍事拠点であった多賀城跡よりも大規模で、都市計画がなされていた痕跡と考えられる遺構が随所で確認されている。弥生時代から古墳時代への転換期の様相を示す重要遺跡で、邪馬台国畿内説を立証する遺跡ではないかと注目を浴びた。3世紀前半の遺構は必ずしも多くなく、遺跡の最盛期は3世紀終り頃から4世紀初頭。2011年に「卑弥呼の居館」とも指摘された大型建物跡(3世紀前半)の約5m東側から別の大型建物跡の一部が見つかり、建物跡は造営年代が3世紀後半以降と判明。卑弥呼の没年は248年頃で、纏向最盛期より前であるが、今後造営年代が、遺跡が存続した4世紀前半までの間に特定されれば、初期大和政権の重要施設だった可能性が高まるとの意見もある。農業用の大型水路や無数の土坑の中に、三輪山祭祀に関する遺物のセットが多数投げ捨てられており、石塚古墳の周濠からは吉備系の祭祀遺物である弧文円板こもんえんばんが出土し、ピークの過ぎた4世紀末には埴輪が出土する。また、矢板で護岸した幅5m、深さ1mの直線的な巨大水路が2本あり、「北溝」「南溝」と称される(資材搬入のため運河として利用するべく、まずこの溝が造られたと思われる)。2013年(H25)10月国の史跡に指定。

f:id:OSAKA-TOM:20200309093212j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200309093358j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200309093442j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200309093429j:plain

周辺の遺跡地図 (奈良県遺跡地図Webを一部加工)

f:id:OSAKA-TOM:20210824140134j:plain

奈良県遺跡地図Web/奈良県公式ホームページ

巻野内石塚古墳

巻頭地図の①。巻向駅から東へ400m弱で、狭い道を南へ150m強。田圃の中にポツンとあるのですぐ分かる。5年前の8月に訪れた時は、草が深く墳頂に昇れなかったが、冬場のせいか、少し除草整備されたのか、今回は楽に墳頂に上れた。

元は全長60m、後円部径35m、前方部長20mで、前方部を北東に向ける「前方部が短い帆立貝式前方後円墳(纒向型前方後円墳)」との情報もある。現状は径40m程の円墳状。

 下の左が今回                  右は2015年8月              

f:id:OSAKA-TOM:20200309094942j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20150810113254j:plain

                          墳丘の一部がネギ畑になっていた。

f:id:OSAKA-TOM:20200309094746j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200309094734j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200309094757j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200309094811j:plain

墳頂には夏蜜柑の木が植えられているが、南西には墳頂約280mの箸墓古墳の威容が見える。     墳頂                箸墓古墳

f:id:OSAKA-TOM:20200309094845j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200309094835j:plain

巻野内石塚古墳から少し南に、遺跡地図では無名の円墳が3基(巻頭地図②、遺跡地図497通称名サシコマ古墳・498通称名小川塚西古墳・499通称名小川塚東古墳)がある。更に少し南に501茶ノ木塚古墳・502北口塚古墳(巻頭地図③)がある。いずれも田圃造成時に削平されていないところを見ると、地元ではそれなりの伝承等があったのかもしれない。

サシコマ古墳 

*これ以下北口塚古墳迄の写真は2021.11再訪時の写真に貼替更新しています。

北東望              北西望               北望

f:id:OSAKA-TOM:20211130083900j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211130083927j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211130083954j:plain

小川塚西古墳

北東望               西望               北左=西古墳 右=東古墳

f:id:OSAKA-TOM:20211130084406j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211130084421j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211130084438j:plain

小川塚東古墳

遠景西望              北西望

f:id:OSAKA-TOM:20211130085143j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211130085159j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211130085211j:plain

茶ノ木塚古墳

 南西望              北東望               西望

f:id:OSAKA-TOM:20211130085435j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211130085454j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211130085459j:plain

北口塚古墳

南西望              北東望

f:id:OSAKA-TOM:20211130085720j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211130085752j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20211130085759j:plain

ここから④ホケノ山古墳方面に向かう。 

ホケノ山古墳 - OSAKA-TOM’s diary