OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

松岳山古墳

松岳山古墳

松岳山まつおかやま古墳 柏原市国分市場 2019.11.8(金)

 3世紀末~4世紀後半造営された松岳山古墳群の主墳。

左の写真 黒矢印先の「国豊橋南詰」交差点を右折(東へ)する。

(真っすぐ橋を渡ると高井田横穴墓群のある史跡公園)                    

右の写真 「国豊橋南詰」交差点から大和川河川敷に沿って700m行くと、変則な分岐路。そこを左(東)方向に60m。左に上がる急坂の先に国分神社の西の鳥居がある。

国分神社の境内に古墳への登り口がある。

車でも神社に登れるが、西の鳥居に上がる道は西から進入するべき。東の神社参道階段側から来ると320度位の鋭角で、狭い進入路を曲がり切るには、普通車なら3回程切り返さないといけない。*帰る際、東の神社参道階段側に抜けるなら同様の状況になります。

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鳥居の左手に、古墳への登り口がある。登る前に駐車場右手の社務所に声掛けを。拝殿前のノートに記帳すればOK。

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結構きつい登り。墳頂には古墳主軸に直行する露出した石棺と謎の立石。こんなのは岡山の楯築遺跡にある墳丘墓(定型化した古墳の前身)の上にも見られるが、謎!

登り路          露出石棺         南望           北望

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石棺の側板石の割れ目から内部が撮影できた。穴の番号は当方で編集。なお、真ん中の小さな白い箱は、タバコ。

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181の穴(右に南短辺側板石)     181から北側短辺側板石内側     182の穴から南側板石外側

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北側立石                      南側立石

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孔は完全に貫通している。ミステリー??

 

【松岳山古墳 受け売り情報】

大和川左岸、国分神社奥に広がる丘陵上。板状の石を積み上げて墳丘が築かれた。前方部は2段、後円部は3段もしくは4段で、墳丘1~2段目は玄武岩の板状の石を垂直に積み上げ、円礫を斜めに葺いているとのこと。こうした板石を使用した段築は他に例をみないもの。テラス面などに円筒埴輪や巨大な鰭付楕円筒埴輪が立っていたらしい。後円部墳頂には組合式石棺(6枚の板石組合)が露出。石棺を覆う竪穴式石室は不明だが、周囲に板石が大量に散乱する様子から、石室は墳丘上に積石塚のように築かれていたと推定されるとのこと。石棺の南北には大板石が立てられており、南 の立石は高さ2.3m、幅1.4m、北の立石は高さが1.8m、幅1.4m(分厚さは南側が10-12cm、北側は半分ほど)。南立石には1箇所、北立石には2箇所の円孔が(パッと見、1個しか分からなかった)ある。立石・円孔の用途は不明。銅鏡、装飾品、武器、農工具、土器埴輪など様々な遺物の出土。周辺丘陵には10基近くの小さな円墳や方墳があったが、松岳山古墳と隣接する茶臼塚古墳以外の古墳はS30年前後の宅地造成などにより消滅。周辺の古墳や丘陵地からは国宝の「船氏王後墓誌(ふなしおうごぼし)」や重文の三角縁神獣鏡、歯車形碧玉製品など多くの貴重な資料が出土したと伝えられている。

詳しくは柏原市HPで。

www.city.kashiwara.osaka.jp