OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

石のカラト古墳

石のカラト古墳 

木津川市兜台2-奈良市神功1 2019.11.8(金)

大阪府柏原市松岳山古墳から京都府相楽郡和束町安積皇子墓の古墳ドライブの途上。

        *「Yahoo!地図」を加工編集させていただきました。

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奈良からの経路

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南東角

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北面

木津川市奈良市境の標高100m強の丘陵。国の史跡。日本で最初に見つかった上円下方墳。S54年(1979)宅地建設で調査し、下の方形部は一辺14m、高さ1.4m、上円部は径9m、高さ1.5m、埋葬施設は横口式石槨だったらしい。平城京遷都に関係する皇族の墓とも。復原され現在公園としてきれいに整備されている。「カラト」の古墳名は、石室が唐櫃に似ることに由来するという。古墳時代終末期8世紀初頭頃の築造とのこと。

【古墳豆知識その3】

 この形式で2番目に見つかったのは、1985年静岡県沼津市愛鷹山山麓の清水柳北1号墳(8世紀初頭)。3例目は2003年武蔵府中熊野神社古墳府中市、7世紀中頃~後半)。4例目は2007年天文台構内古墳(東京都三鷹市、7世紀中頃)。5例目は2008年野地久保古墳(福島県白河市、7世紀末~8世紀初)。6例目は2013年の山王塚古墳(埼玉県川越市、7世紀後半)で、確実な上円下方墳の中では最も大きい(下方部一辺63m、全高4.5m)。何故か殆ど関東圏?

上円下方墳は最近では明治天皇陵=京都市伏見区桃山丘陵昭和天皇陵と同じ形。34代舒明陵(奈良県桜井市忍坂)、38代天智陵(京都市山科区)を上円下方墳とみて、それに習ったものとの説も。ただし近年の調査結果により、それらの古代天皇陵は実際には八角墳(上八角下方墳)と判明しているが・・・・・。 

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明治天皇陵遠景

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明治天皇

4倍望遠でも遠すぎてこのレベル。下段の方形壇の一辺は約60m、上段の円丘部の高さは約6.3m、表面にはさざれ石が葺かれている。墳丘だけではカラト古墳の4倍強だが。明治天皇陵は、陵域の規模がハンパない。隣接する皇后=昭憲皇太后陵もすごい規模。

すぐ近くの50代桓武天皇陵や、初めて見るとすごい規模と感じる天智天皇陵に比べると腰が抜けるほどの段違いの規模。

 

カラト古墳は奈良交通の兜台3丁目バス停のすぐ南側だが、車で行くと路上駐車しかないので要注意。

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誰か路駐。道路の右(南)向いがカラト古墳。