OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

城陽市 古墳群

城陽市 古墳群

2019.10.23(水)城陽市 久津川古墳群、下大谷古墳群、上大谷古墳群、尼塚古墳群、芝ケ原古墳群、黒土古墳群 (古墳22ヶ所)

『雑感その1』

 ”古墳は在地有力者の墓。なので古墳群は今風に言えば、墓地だ。1基何十m~何百mなので、やたら広い墓地ということになる。古墳に対して、精神的に畏敬・畏怖の念をもって見る向きもある。が、単に『モノ』として見るのが考古学。出土した土器、鏡などの副葬品、棺やそれを納める石室等から、大体の年代が分かる。弥生時代に続く古墳時代は、3C前半~7C代。ちょうどヤマト政権、つまり日本古代の単一政権の形成過程である。で、その過程を示す「『モノ』サシ」の一つが古墳である。
戦前、日本の歴史は、日本書紀に代表される史書に基づいて語られた。皇国史観等だ。しかし戦後、「どうもおかしい?」と学者が言い出した。史書と考古学が合わない・・・?
巨大前方後円墳の後円部墳頂等では、首長霊継承儀礼が行われたとする説がある。折しも、第126代徳仁天皇陛下即位式が2019年10月22日に行われた。形式は随分変わったが、底流の考え方は、連綿と続いているのかもしれない。”


【古墳豆知識その1】

 ”古墳は全国に約16万基。正確には159,636。最多は兵庫県18,851基、鳥取県13,486基、京都府13,016基、千葉県12,765基、岡山県11,810基で、奈良は第8位(9,700)。少し前、世界遺産になった百舌鳥・古市古墳群を擁する大阪は第13位(3,427)*。
 *文化庁平成28年度周知の埋蔵文化財包蔵地数の「⑧古墳・横穴」(消滅分含む)
ただ、規模では200m以上の37基中*、奈良21、大阪13で大半が奈良・大阪に集中。第1位がご存知、百舌鳥古墳群仁徳天皇陵(=大仙陵古墳)で(最近調査で)525m、第2位は古市古墳群応神天皇陵(=誉田御廟山古墳)425m、第3位は百舌鳥古墳群履中天皇陵(=上石津ミサンザイ古墳)365m。古事記日本書紀では第16代仁徳の父が15代応神、仁徳の子供が17代履中天皇
 *奈良・大阪以外では、第4位岡山市の造山古墳360m、第9位岡山県総社市の作山古墳286m、群馬の太田天神山古墳210m。200m前後の古墳は諸説あるが・・・"

 

【散策の様子】

台風の合間、好天日を選び散策。まだ20°越えで蛇の活動期なので、山間部を避けて城陽市街地の古墳群へ。近鉄京都線久津川駅9時頃着。田んぼの中に点在する住宅地を想像していたが、ビッシリ詰まった完全な住宅街。城陽市の名前は知っていたが、来たのは初めて。京都府は古墳数全国第3位だけあって、城陽市にも古墳群が密集していた。

200m級の大規模古墳は、久津川車塚古墳位で、あとは小さな古墳が大半。住宅の間に、2階に相当する高さに整形された古墳が多いのと、児童遊園として利用されている古墳が多いのも初めて。計画的に作られた住宅街の中で、古墳保存の苦肉の策のように思えた。なので、古墳っぽさはあまりなく、1500~1600年のタイムスリップ感もあまり味わえなかった。しかも今回は石室は1基のみで、林やこんもりした土塁の見学会と言う感じもした。

城陽市 古墳群散策前半

          *「Yahoo!地図」を加工編集させていただきました。

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久津川車塚古墳

  5世紀前半 前方後円墳 南山城地方で最大規模。国の史跡。南山城地方を治めた大首長の墓と推測されている。3段築成。墳丘長約180m、くびれ部西側には造出。墳丘表面では葺石、埴輪列。周囲に2重周濠、周濠外側の外堤は幅8m以上で、外堤上には2重の埴輪列も巡らされ、総長272mとなるらしい。

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久津川車塚古墳 後円部

フェンスで囲まれており、西側中央は施錠されているが、そこから南へ50m程の所と後円部北側の2カ所は施錠されていなかった。墳丘をグルッと一周できる細い道への登り口が後円部北東面にある。

西側中央は施錠                   北側フェンスの後円部側は無施錠(矢印の突当り)  

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北側フェンス扉を入ると後円部方面への道があり、後円部北東側の登り口を上ると周回道がある。

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*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

久津川丸塚古墳 

 前方後円墳。後円部が2段築成、前方部が1段築成。墳丘長は80m。墳丘表面では円筒・朝顔形・形象埴輪(家形・蓋形・甲冑形埴輪)が検出され、中でも家形埴輪(5棟以上)のうち1棟は、高さ約1mの大型のもの。周囲には墳丘と相似形の周濠が巡り、周濠を含めた全長は104m。久津川車塚古墳と同時期の築造。

墳丘西面 左が後円部                 東側に進入路がある。墳丘はフェンス網がある。

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=その他、住宅街の中の整形された古墳(抜粋)=
下大谷古墳群1号墳 

 5世紀前半 一辺18mの方墳

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上大谷古墳群

 (3世紀前半~7世紀前半)17号~20号墳 すべて円墳。端の公園に8号墳、中央北に17~20号墳(写真左端)、中央南に14号墳、東端の公園に1~5号墳。

左写真上部立ち木のところに17号墳(消滅し石室のみ移築)・18~20号墳がある。

2枚目は入口手前の道路に埋め込まれた標識。3・4枚目が17~20号墳域。

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芝ケ原13号墳

 登り口の防護柵脇からコソッと入ったが、やや危険で本当は登らない方がよい。

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城陽市 古墳群散策前半-2

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芝ケ原12号墳

 史跡公園内。古墳時代初頭3世紀中頃(または3世紀前半頃)の前方後方墳。前方部は削平され、後方部南北21m、東西19m(前方部長さ約3.5m)、くびれ部幅11.6m。墳丘の段築・葺石は認められず、周溝が巡っていたらしい。主体部の埋葬施設は組合式木棺の直葬で、木棺は長さ3m・幅0.8m。埋納土壙は長さ4.7m・幅2.5m。木棺内部から四獣形鏡 1面 ( 仿製鏡、直径12cm)、銅釧 2点( 同笵)、硬玉製勾玉8点、碧玉製管玉 187点、ガラス製小玉 1276点、ヤリガンナ 1点など多数の副葬品を検出、特に銅釧の出土は類例がないとのこと。墓壙上面の礫敷からは供献土器片として二重口縁壺4点・高坏1点などが出土、土器は庄内式で、古墳時代初頭の3世紀中頃(または3世紀前半頃)築造らしい。南山城地方では椿井大塚山古墳より早く、当時としては一帯で最有力の首長墓の一つなんだろうとのこと。

              後方部北西角      前方部

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尼塚古墳

 40×37m 高さ4.5mの方墳。こうなると古墳?か何かわからない。

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芝ヶ原古墳群 

城陽市芝ヶ原の久世小学校周辺に分布する古墳時代中期の古墳群。前方後円墳2、円墳9、方墳2基からなる。久世小学校中庭の9号墳は径25mの円墳で埴輪が出土。学校入口南側の林の中にある6号墳は全長45mの前方後円墳。学校北東400mにある13号墳は一辺20mの方墳で、緑地として現地保存(説明板には円墳)。12号墳は国史跡で出土品は重要文化財。特に標識も無く、たぶんこの辺としか分からない。

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進入口      8号辺り     7号辺り     5号辺り     6号辺り     1-4号辺り

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城陽市 古墳群散策後半

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黒土古墳群 

城陽市中黒土、天満神社鳥居横(北側)。6世紀後半の円墳。天満神社境内に1号墳、背後の林に2~10号墳。1号墳は市史跡。1999年調査、径26mの円墳で、主体部は大型の横穴式石室。全長9.7m、玄室長4.9m・幅2.47m・高さ3.8m、羨道長4.5m・幅1.3mの両袖式で、玄室はやや胴張り状で高さがかなりあり、珪石、ホルンフェルス、花崗岩を使用するとのこと。土器、馬具、鉄鏃のほか、石棺片と見られる凝灰岩の破片を検出。天井石は明治時代に外された模様。他の古墳は、状態が良くなく、内容も不明。

天満神社         北望            東望

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詳しくは城陽市史跡巡りマップ

www.city.joyo.kyoto.jp

 

 下調べルートどおり巡り、予定22基の古墳を網羅。ルートや時間予想はバッチリで、帰りのJR山城青谷駅からの電車時間もピッタリ。
ただ25°と結構汗をかく位の温度と、日陰の林の中では藪蚊が未だに元気なのは予想外
だったが・・・。今日の行程は23176歩、16.7km。
これでも消費カロリー782K㎈ぽっち?これじゃ腹はへこまんな―。

散策49ヶ所 古墳数385基。次は、向日市を予定。