津堂城山古墳
やっと30°をきる天気予報が出て、5日前ほどに決めた。古市古墳群でも少し北側の離れた所にあるので、前回寄れていなかった。9時に自宅出発、さわやかな秋の晴天。近鉄藤井寺駅10時着。下調べでは古墳まで1.5km。
楽な道のりである。古墳は200m超級の大規模古墳ではあるが、宮内庁管理ではないので、立ち入り自由。近隣住民の散歩コースになっている。
同じ200m級の立ち入り自由な古墳である茨木の今城塚古墳みたい。
墳丘長208m、前方部幅117m・高さ12.7m、後円部径128m・高さ16.9m。前方部は南東を向き、二重の周濠が墳丘を囲んでいる。外側の周濠は宅地や田畑となっているが、これを含めると古墳の全長は400m以上になる。これまでの発掘調査などから築造は4世紀後半とみられ、古市古墳群の中でも初期の古墳で、誉田山古墳(神武陵)よりも先行する。室町時代には古墳の地形を利用して小山城が築かれたため、墳丘の一部が掘削されている。明治初期の天皇陵の治定作業では陵墓とされなかったが、1912年に、神社に建立する石碑の材料とするため、後円部の墳丘から石板を発掘したことがきっかけで竪穴式石室と巨大な長持形石棺が発見され、鏡や鏃などの副葬品が多数出土した。後円部墳頂は、大王級の石棺が発掘されたことにより、允恭天皇の陵墓参考地として部分的に宮内庁管理となっている。1980年に造り出しや二重の周濠(中堤幅30m、外濠25m)、石葺の外側堤(幅20m)の存在が確認された。また、周濠内の前方部左右近くの島状遺構(方墳形の祭壇)からは3体の水鳥形埴輪が出土。このほかにも衝立型や家形・盾形・衣蓋形、靫型の埴輪、円筒型など多彩な形象埴輪が発見された。 これらのことから、大和から河内へと古墳築造が移った初期の大王陵墓との説も。(国の史跡)
前方部方面北西望 前方部全景 前方部東角 前方部南西角
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前方部墳頂へ 前方部墳頂南東望
後円部墳頂陵墓参考地北西望 西望 近景 東側見上げ
北東側周濠跡 北東面全景
後円部北側に資料館があり、開館時間等下調べしていったが、イメージと違いこじんまりした建物。館内資料より、資料館前の、明治時代に発掘された長持ち形石棺レプリカと竜山石製の天井石に目を引かれた。
後円部周回道 資料館前 長持形石棺レプリカ 案内
後円部北端見上げ 後円部西側の津堂八幡神社 内堤跡南西側南東望
南西側周濠跡 北望 北西望
風がさわやかで、汗は全くかかなかった。蚊もいなかったのが何より。
約1時間古墳を散策し、11時半駅前で昼食。行く時に確認しておいた和食店だが、周辺に和食店はここしかないようで、近所のマダム達で賑わっていた。恒例の生ビールと食事。まずまず満足!
12時半頃帰路に。結果13時半には帰宅した。真夏の時期がようやく明けて、古墳巡りには最適の季節。
次は、平群町をすでに予定しているが、そこそこグルっと回るコースで楽しみである。
本日、携帯の歩数計では9389歩、6.7㎞。歩かないよりはましだろうが、カロリー減にはなっていない?!