OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

東乗鞍古墳

東乗鞍古墳

2019年7月北望                   (2021年10月南望)

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*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

東乗鞍古墳は、天理市杣之内町、西乗鞍古墳の東隣、地図にも載っているので古墳の場所はすぐ分る。しかし、石室の位置が分りにくい。案内図や石室への道標もない。山の辺の道途中の夜都伎やつぎ神社鳥居の西30m程の、山の辺の道「道標」から石上神宮方面=北東へ進む。(もちろん北側の天理親里競技場方面からもアクセスできますが、目印の多い南側からの道順を掲載します。)

*なお以下の写真は2019年7月のものです。季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意ください。

夜都伎神社鳥居          山の辺の道「道標」          石上神宮方面へ

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100m程で野菜販売所がある。そこから50m道なりに行った所に電柱が立っている。そのすぐ東側にある畦道に登り、古墳(竹藪)に向って北へ50m。

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ほぼそのまま真っ直ぐ竹藪(後円部墳裾)へ進入する。夏は草深く道っぽくないが、草叢を抜けやや登ると、左(西)に続く小路がある。

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ここは殆ど草は生えておらず、竹藪の中の、ちゃんとした小路。そのまま西に40~50m行くと右に登る階段がある。

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階段を登った所の小さなお地蔵さんの後ろに開口している。竹の格子垣で立入禁止になっている。羨門部にかなり土砂が堆積し、垣根が無くても、入れるかどうかの開口状況だ。

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自撮棒での外向きで何とか羨道部が撮影出来はするが・・・・・。

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古墳時代後期6世紀中葉の前方後円墳。全長75m、後円部径44m、前方部幅68m、前方部は西に向く。全長14.8m(玄室長5.7m、幅2.4m、高さ3.3m)の右片袖式横穴式石室。馬具、甲冑の小札等出土の言い伝えがある。2018年2月に前方部の一部を発掘し2段築成であることが判明。また従来埴輪の存在は知られていなかったが、1段目テラスから円筒埴輪の破片が見つかったとのこと。後円部墳頂は大きく凹み、石室内に多量の土砂が流入しているらしい。石室は南に開口し、玄室には2棺置かれており、奥に阿蘇ピンク石の刳抜式家型石棺、手前に組合せ式石棺の底石の一部が残存しているとのことだが、2019年7月現在入室できない。物部氏墳墓との説もある。

 

石室への階段前から更に奥=西の前方部先端に進むと天理大親里ホッケー場が見える。

前方部方面            前方部西端              前方部墳頂見上げ

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西隣の西乗鞍古墳等は以下を参照ください。

峯塚古墳周辺 - OSAKA-TOM’s diary