OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

寺口忍海古墳群 山口千塚古墳群

葛城市の寺口忍海古墳群・山口千塚古墳群と周辺の散策。

2019年6月12日(水)。近鉄新庄駅→屋敷山古墳→(奈良県社会教育センター内の神明神社古墳・皿池古墳)→寺口古屋敷ふるやしき古墳→二塚古墳→寺口団子山古墳→寺口忍海古墳群→山口千塚古墳群→笛吹ふえふき10号墳→笛吹神社古墳→石光山せっこうざん古墳→近鉄忍海駅  

(社会教育センター)を除く単純経路は11km *古墳見学を含むと13~14km

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屋敷山古墳

(2018/10散策済みなので今回はパス)

屋敷山公園内(上図*印)。古墳時代中期=5世紀中頃の葛城市最大の前方後円墳。全長135m以上、後円部径約77m・高さ15m。前方部幅90m。埋葬主体は、蓋石を有する竪穴式石室に長持形石棺を安置。天井石と石棺の部材は、屋敷山公園と葛城市歴史博物館に展示。葛城氏の首長墓と思われる。戦国時代に領主布施氏の館が築かれ、江戸時代には大名桑山氏の陣屋が築かれ、墳丘は大きく変形している。

2018/10当時        案内         蓋石=天井石       案内

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*画像をクリックすると拡大されます。

神明神社古墳・皿池古墳

(2018/10散策済みなので今回はパス)

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神明神社古墳 葛城市寺口、奈良県社会教育センター内。7世紀後半、径20mの円墳。埋葬施設は、花崗岩切石を使用した無袖式横穴式石室。全長6.1m、高さ1.5m、入口幅1.8m。南に開口。鉄製環金具・銀製金具・水晶切子玉・鉄釘が出土。石室内の奥壁から3mと4.5mの両壁に、幅約8㎝の溝が縦に彫り込まれていて、当初は木製の中扉と前扉があり、玄室と羨道が区別がされていた可能性が強い(根拠は、玄室内部から銀張りの環金具が出土し、これが内扉の把手金具と見られるから)。同タイプの古墳としては天武・持統合葬陵がある。

皿池古墳 「万葉の丘」と名付けられた丘陵に有る径25mの円墳(前方後円墳とも・・・)、須恵器や円筒埴輪が出土。

2018/10当時の神明神社古墳

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寺口古屋敷ふるやしき古墳

葛城市寺口。上図①。7世紀後半頃の円墳。県道工事で石室が露出し(現在は見当たらない)、1979年に発掘調査。寺ロ集落北方の尾根から派生した小丘上に立地。径約8mの円墳とされているが、墳丘本体を含め石室周囲が削られ、墳丘の原形は不明。石室墓壙は、調査時に確認した範囲で幅約2.5m、深さ約2.2m。石室は小型の横穴式石室で奥壁1石、両側壁それぞれ1段で2石以上で、長さ約1.7m以上、幅約0.8m・高さ0.9mで、床には敷石が施されていたとのこと。また漆喰を、石材間だけでなく壁面全体や敷石にも塗っている。神明神社古墳石室より更に縮小化した時期とされる。

西望           南面          小丘上部東望 

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新庄二塚古墳

(2018/10散策済みなので、今回はちょっと立ち寄り、一見しただけ)

古墳時代後期の6世紀前半~中頃。丘陵尾根先端を利用した前方後円墳。全長60m、後円部径36m・高さ10m、前方部幅約41m・高さ10m。2段築成で、くびれ部西側に造り出しがある。埴輪は認められないが要所に葺石が施されている。明確な周濠は無いが、墳丘西は約10mほどの幅で整地され、東側の一段低い田も、空濠の跡と考えられているらしい。後円部、前方部、造り出し部の三カ所に横穴式石室がある。

後円部石室 両袖式で全長16.7m、羨道長約9.7m・幅約4.1m・高さ約1.5m、玄室長6.7m・幅3m・高さ4.1mで、南に開口。羨道部分には排水溝がつくられている。凝灰岩の石棺が置かれていたとみられているが、すでに破壊されており詳細は不明。

2018/10当時東側全景   後円部          案内          開口部

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前方部石室 石室は片袖式で全長は9m、玄室長3.9m、幅1.7m、高さ1.9m、凝灰岩製の組合式石棺の底部分のみが残る。他に、馬具、農耕具、金・銀製中空玉が出土しているとのこと。

2018/10当時開口部    羨道           玄門           玄室

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造出し部石室 笹がひどく、見つけられなかった。朝鮮半島の一部で見られる特殊な形式。石室は無袖式で全長7.8m、玄室長4.5m・幅1.35m・高さ1.3m。玄室が羨道部分より一段(約0.9m)低いらしい。

発掘調査で、後円部石室から金銅製花形座金具・水晶製三輪玉・鉄製鋤先・ガラス玉・梯形鉄製品・鉄製武器、前方部石室から鉄鋤・鉄斧・鉄製馬具・金製空玉うつろだま・銀製空玉・須恵器と土師器、造出し部石室から琥珀製棗玉・直刀・刀子・馬具・鉄鏃・鉄斧・鉄鎌・鉄鋤・大量の須恵器が出土。盗掘を受けていなかったため、総数118点の副葬品が石室内にギッシリ並べられた状態で検出され、そのため副葬品埋葬のための石室ではないかとの説も出されたが、遺物の間に2mあまりの空間があることから、ここに木棺が安置されていたと考えられるとのこと。

寺口団子山古墳

葛城市寺口、二塚古墳の南側辺り(上図②)。民家の裏山。6世紀末~7世紀前半の方墳。一辺約22m・高さ約5m。主石室は南に開口する両袖式横穴式石室。全長9.7m。羨道部長5.2m・幅1.5m・高さ1.4m、玄室長4m・幅1.7~2.2m・高さ2.3m。南西隅にも小石室があるらしいが開口部は土砂で埋っているのか不明、石室内詳細も不明。

進入路          民家          遠景           近景

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南側開口部                    羨道

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寺口忍海古墳群

葛城市寺口~平岡(上図③)。6世紀~7世紀初頭。1984年調査。横穴式石室古墳が大半。公園西の墓地近辺のH群から土師器・須恵器・刀剣・鉄鏃・刀子・鎌・斧・砥石・スキ・鑿・治工具・玉類等出土。

                右の公園案内看板は、北が上になるよう逆転掲載。赤い線は当方の加工

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以下、巡った順に掲載します。

D11号墳・D24号墳

円墳が並ぶ尾根上、説明板近くにある円墳がD11号墳。径14.5m・高さ3.5m。横穴式石室で、南側に開口部があるが、石室内は土砂で埋まっている。墳頂は大きく陥没していて、石材が2個露出している。すぐ西側のD24号墳は径14m・高さ2.5mの円墳。横穴式石室で、南側斜面に石材が露出。墳丘上は柵が廻らされ、ベンチも置かれている。

D11号墳方面               遠景       近景        案内

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D11号墳開口部      内部           陥没墳頂        矢印内部

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D24号墳北東望      東面           南面          墳頂部

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D30号墳

尾根を利用して築かれた径12m・高さ4mの円墳。埋葬施設は南に開口する両袖式横穴式石室。石室全長7m、羨道長3m・幅1.5m・高さ1.6m、玄室長4m・幅2m・高さ2.6m。開口部は高さ90cm程。盗掘で遺物は少なく、須恵器・土師器・鉄釘が出土。木棺が埋葬されていたらしい。比較的大きな石を使い、奥壁は3段、側壁は2段で、いずれも1段目から内に傾斜している(持ち送り)。天井石も巨大。

D30号墳遠景       近景           墳頂から見下ろし    開口部

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D30号墳玄門   奥壁      側壁               左袖      右袖

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G27号墳

公園に入ってすぐの管理事務所西にある小川の南側尾根上を登るとG支群があるそうだが、ハッキリと見つけられなかった。

G支群は元は42基あり、尾根上に並んで築かれ、少し南のG27号墳のみ開口。6世紀後半~7世紀初頭、径15m程の円墳。南斜面は崩れているが、墳丘は比較的良好に残るらしい。両袖式の横穴式石室は南に開口(溜池の上)。石室全長5.9m。羨道長1.25m・幅1.25m・高さ1.5m、玄室長4.6m・幅2.5m・高さ3.5m。土砂で1mほど埋まっている。全体的に巨石が使われているとのこと。

H36号墳

霊園の北端にある。径11mの円墳で、一部石材が見える。耳環・刀子・鉄釘・須恵器・土師器等出土とのこと。

A5号墳

霊園敷地北側出入口から北へ向かう道があるが、少し行くと通行止めになっており、それ以上進めず断念。その向こうの田圃の奥にあるらしい。田の柵の切れ目から、西の薮へ入って少し行き、登った所にあるらしい。墳頂に墓石が建つとのこと。公園からではなく、北側から行けば良かったのだろう。

径18m・高5mの円墳。南東に開口する横穴式石室(右片袖式)がある。羨道は土砂が堆積して狭いが、入室可能。羨道部長約4m。玄室長約8m・幅2m・高さ1.8m(土砂で1mほど埋まっている)。

G27号墳方面東望     南望          H36号墳西望       北東望 

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E2号墳

H36号墳の南100m。すぐ北隣にE1号墳も見える。E2号墳は径13~14m・高さ5mの円墳。右片袖式横穴式石室が南向きに開口。玄室幅2m・高さ3.5m程。須恵器・刀子・鉄鏃・馬具・鋤先・紡錘車等検出。

E1・2号墳南東望     E1号墳東望        E2号墳南東望      北望

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E2号墳羨道   玄室(鞄は30㎝四方)  側壁持ち送り                右袖部

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E17号墳

E2号墳の50mほど西。径10m、北側の高さは1.5m程。南斜面に横穴式石室が僅かに開口するが、羨道部も埋まっており、隙間から内部が少し見える程度。玄室長3m・幅1.5m・高さ1.8m程らしい。南側斜面にE16号墳?の石材が露出(墳丘は消滅)。斜面下にも石材が散乱している(E19号墳?、円墳だったようだが墳丘は消滅。鑷子・刀子・鉄鏃・須恵・土師等出土)。

E17号墳西望       開口部                      遠景北東望

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山口千塚古墳群

葛城市山口字新林。30基ほどの古墳群。E17号南西側の道を、南へ抜けると山口集落。そこを西方面に3分程上がっていくと末高明神で、その上に山口千塚25号墳。

さらに3分程で小さなダムがある。このダム周辺が古墳群の密集地域。

E17号墳見返り    山口集落へ                        ダム

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残念ながら、山口千塚古墳群では草木が深く、明確に墳丘は確認できなかったので、情報だけ下記します。

山口千塚1・4・5・6号墳

ダム北東側森の中、3つの背の高い円墳。東側の6号墳は径18m・高さ6m程の円墳。南側に開口する横穴式石室が有る。5号墳は径14m・高さ6m程。石室は南側に開口。羨道から玄室がかなり低くなっている。竪穴系横口式石室で幅2.5m・高さ3m弱とのこと。

4号墳は山口千塚古墳群で中心的な古墳。径20m超の円墳。開口部は30cm程の高さしかないが、竪穴系横口式石室で羨道もかなり長く、玄室長5m以上・高さ3m以上・幅2m以上。1号墳は一番西側のフェンスの手前。径10m足らずの円墳で、石材は抜き取られてしまっているとのこと。

4・5号墳の南側斜面に7号墳、斜面に石材が数個露出しているのみ。8号墳は7号墳すぐ東側、10mの円墳。羨道より玄室の床が下る竪穴系横口式石室が開口、羨道長1.5m・高さ1m・幅1m程、玄室長3.5m・高さ2.5m・幅1.7m。9号墳は径12mの円墳で、南面に開口し、玄室は背の高い竪穴系横口式石室(左片袖式)とのこと。

11号墳は径約10mの円墳。墳丘はほとんど無いが、南側に横穴式石室が開口。開口部は30cm程しかないが、石室はかなり天井が高い。11号墳東隣に、大きく陥没している12号墳がある。その隣りに14号墳。約5mの円墳で、多少墳丘が残る。開口部はほぼ埋まっているが、天井部が開いているとのこと。

【古墳豆知識】竪穴系横口式石室 在来の堅穴式石室(石槨)や石棺式石室短辺の小口部に横ロを取付けたもの。石室平面は竪穴式石室同様、長さに比べ幅が狭い。玄室部分床は羨道部より一段低いのが一般的。壁面は小型板石を小口積みにしたものや、腰石の上に小口積みするものがあり、棺は石室主軸に平行。一般的に中小古墳に見られる。

笛吹ふえふき10号墳

葛城市山口字神山、新庄乗馬クラブの西(上図⑤)。古墳時代中期~後期、全長42mの前方後円墳。前方部を北西に向ける。後円部径20m・高さ5m、前方部最大幅は20m。笛吹古墳群の西方に在り、唯一の前方後円墳。横穴式石室があった模様だが、南側が削平されている。笛吹古墳群は約80基弱(半分程削平)で、主に径10m前後の円墳で構成されている。

全景南望         前方部         くびれ部         後円部

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笛吹神社古墳

葛城市笛吹。笛吹(葛城坐火雷神社かつらきにいますほのいかづち)拝殿裏(上図⑥)。笛吹古墳群の東端、径20~25m・高さ約4mの円墳。石室全長12.5m、羨道長6.5m・幅1.7m、玄室長6m・幅2.4mの片袖式横穴式石室。玄室には凝灰岩製の刳抜式家形石棺が遺存し、蓋の縄掛け突起も残る。坏・高坏・器台などの須恵器、鏃・刀子・釘・斧・鋤先・鎌などの鉄製品、轡・辻金具などの馬具が出土したとのこと。

神社拝殿        古墳拝所         案内           開口部

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周辺のアチコチに石材置き場がある。群集墳ではよく見る光景だが、抜かれた石材なのだろう。

石光山せっこうざん古墳

御所市元町横井(上図⑦)。尾根上には4基の前方後円墳を含む約100基(5世紀後半~7世紀初頭)が密集し、木棺直葬が主流だったとのこと。 石光山古墳は6世紀後半頃の前方後円墳。全長35m、後円部径20m・高さ3m、前方部幅12.4m。現在は宅地造成で西側半分はなくなり、東側半分が残るのみ。墳丘には葺石が施されていた模様。円筒埴輪や朝顔形埴輪なども採取されている。1983年に1987年に調査され、主体部が二つ確認されている。後円部中央には、竪穴式石室で、全長3.8m・幅1.1m・深さ0.7m。碧玉製管玉、ガラス製勾玉・管玉、鉄刀、鉄鏃、刀子、釘などが出土。後円部頂南寄りには、割竹形木棺が埋葬されていたとのこと。碧玉製管玉、ガラス製管玉、鹿角装刀子、鉄鏃、長頸鏃、剣菱形杏葉、花弁形杏葉、シオデ、鞍などが出土。葛城地域の近隣の古墳群(寺口忍海・山口千塚・笛吹古墳群等)とは性格が異なり、渡来系氏族との結びつきが弱いとされているらしい。武器、武具の量がやや少なく、鉄製農工具の副葬が多い。群中の数基の前方後円墳の被葬者を首長とした単一の氏族集団が構成した群集墳の可能性がある。

石光山85号墳 墳丘の封土は崩れ、横穴式石室が露出。現状は玄室の一部=奥側が残る。、現存長さ1.5m、幅1.5m高さ1.2m程。15mほど右手側崖面にも、小石室が二つ並んで開口している。ただし、この斜面は「急傾斜地崩壊危険区域」なので、下から眺めるだけだが、この時期草木が深く、よく確認できない。

石光山緑地公園南東望   石光山古墳        85号墳方面 

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新庄駅下車後コンビニ等がなく、葛城山麓公園管理事務所に自販機があるのみなので、ご注意下さい。